1話5分で読めるギリシャ神話

ギリシャ神話の神・女神・英雄のエピソードが、絵画で分かりやすい。また、ギリシャ神話はあなたの美術鑑賞に役立ちます。〈1話5分で読める聖書-アートバイブル

バッコスの信女【中編】取り憑かれた女たちの狂気

神ディオニュソスはペンテウス王を言いくるめます「まんまと、網にかかったぞ。王は信女のところに行き、命を落とし、罪を償うことになるのだ」
これが、ギリシャ神話の神。神は非礼を働く人間には、情け容赦もありません。「神聖」と言う言葉からは、ほど遠いとしか思えません。
また、バッコスの信女の狂気の行動も、「敬虔な信仰」という言葉からははるかにかけ離れています。

ディオニュソス(バッカス)

エウリピデス作【バッコスの信女】中編
バッコス(ローマ神話)=ディオニュソス(ギリシャ神話)
コロス=合唱隊。リュディアからきたディオニュソスの女信者

捕われたディオニュソス

(番兵がディオニュソスを捕らて連れてくる。ペンテウス登場)
番兵
王様、手配の者を捕らえました。
不思議なことに、この男を牢に連れていくと、信女どもの縄が自然とほどけ、牢の鍵も開いてしまいました。信女どもは飛び跳ねて出て行ってしまいました。
ペンテウス
(ディオニュソスをジロジロ見ながら)お前はなかなか器量がいいな。髪も肩まで伸ばし、肌も白い。女目当てにテーバイまで来たのであろう。
そして、お前はいったい何者なのだ。
ディオニュソス
リュディアの花咲き香るトゥモロスの山はご存じでしょう。
ペンテウス
知っておる。サルデイズの都を囲んでいる山であろう。
そんな遠くから、どんな事情でこのギリシャに信仰を広めようときたのじゃ。
ディオニュソス
ゼウスの息子ディオニュソス様が命じられたからです。
ペンテウス
ほほう、その信仰とはどんなもので、どんなご利益があるのか?
ディオニュソス
信仰に入らぬ者には秘儀もご利益も明かすことはできません。
神の秘儀は、神に非礼を働く人間を忌むのです。

バッコスの信仰

ペンテウス
その信仰を広めにきたのは、このギリシャがはじめてか?
ディオニュソス
いや、アジアではディオニュソスを崇めない者は一人もおりません。
ペンテウス
アジアは田舎者ばかりだからな、知恵が足りぬからであろう。
ところで、祭りをするのは夜か、昼か?
ディオニュソス
おおかた夜です。闇には荘厳の気がありますゆえ。
ペンテウス
夜か。女どもには危うい、いかがわしい時じゃ。
ディオニュソス
昼でも、淫なことをしようと思えばできましょう。
ペンテウス
屁理屈を申すな。ただではすまぬぞ。
お前の長い髪を切り落としてやる。その杖もよこせ。牢にも入れてやる。
ディオニュソス
牢に入れられても、ここにおられる神が私をいつでも自由にしてくださる。
ペンテウス
どこにおるというのじゃ。俺には一向に見えぬがな。
ディオニュソス
信心がないから、神のお姿が目に入らぬのです。
そなたは、自分のことも何もわかっておられぬ。
ペンテウス
知っている。父エキオンと母アガウエとから生まれたテーバイの王ペンテウスだ。
ディオニュソス
ペントスとは〈悲しみ〉ということ。その名の通り、不幸にあう運命です。
ペンテウス
ええい、牢屋に引っ立てろ!
(コロスのバッコスの信女に)お前が連れてきたこの女たちは、奴隷に売り飛ばすか、機織りにでも使ってやろう。
(ペンテウス、宮殿に入っていく。ディオニュソスは番兵に連れられ退場しつつ)
ディオニュソス
王よ、神が見えぬというが、その神ディオニュソスがお前の非礼を罰してやろう。

(コロス、舞い踊る中、宮殿が揺れ動く)
コロスの長
ああ、ほれ、見えませんか、
ディオニュソスの母セメレーのお墓のそばに
火が燃えているのが。
あれはむかしセメレーが
ゼウスの雷に打たれたときの、
名残りの火。
さあ、みなの者、わななく身を
大地にお伏せなさい。
わたしらの主、ゼウスの御子が、
この館をさんざんに打ち壊しておられるのです。
(コロス、みな地上に身を伏せる)

ディオニュソス、宮殿からゆうぜんと現れる

ディオニュソス
リュディアの女たちよ、もう心配することはない。身を起こすがよい。
コロスの長
また、お会いできてなんと嬉しいことでしょう。
もしあなた様の身に何かあったら、私たちはどうなるかと心配しておりました。
どうやって自由の身になられたのですか。
ディオニュソス
なんのことはない。牡牛と私を間違えて、縛ったというわけさ。
この時、ディオニュソス様が現れて、宮殿を揺るがし、母君セメレー様の墓に火を灯されたのだ。
王と兵士どもは右往左往し、私を捕まえるどころか疲れ切って途方に暮れている。
神に逆らった当然の報い。おや、中から王が出てきたようだ。

(ペンテウスが宮殿から出てくる)
ペンテウス
宮殿に恐ろしいことが起こった。また、あの魔法使いが逃げてしまった。
えっ、きさま、ここにいたのか。
(ペンテウス、ディオニュソスに襲いかかろうとする)
ディオニュソス
お待ちなさい。まず、気を鎮めなされ。
ペンテウス
お前はどうやって縄をほどき、外に出られたのだ。
ディオニュソス
先ほど、私はいつでも神が自由にしてくれると言ったはずです。

牛飼いの報告、キタイロン山の信女の恐ろしい所業

(牛飼い登場)
牛飼い
王様、私は神霊に取り憑かれた女どもを見ました。山で世にも不思議なことを、なんと申し上げたら良いのか......。
ペンテウス
なんなりと話すが良い。お前たちにはなんの罰も与えぬ。
牛飼い
朝方、我らは牡牛の群れを山の牧場に追っていました。その時、三組の信女を見ました。
一組はお母上アガウエ様、一組はイノ様、もう一組はアウトノエ様が率いておられました。
牛の鳴き声で目を覚まされたお母上は、「起きよ」と声をかけました。
女どもは起きると、なんと蛇で衣を胴のところで結えたのです。
それから、一人が杖を取って岩を叩くと、清らかな水が湧き、杖を大地にさせば、葡萄酒が泉のように湧いてきました。杖からは蜜が滴り落ちています。
その後、神の名を呼び踊り始めます。すると、全山ことごとく揺れ、獣らまでも踊り出します。

アガウエ様は私らに気づくとと申されました。
「わが忠実な犬たちよ、この男どもは私らを捕らえようとしている。さあ、杖を武器にして集まっておくれ」
我らは八つ裂きにされるかと思い、逃げました。
すると、女たちは牡牛と子牛をバラバラに引き裂いたのです。肉片が周りに飛び散りました。
それからキタイロン山をすばやく駆け下りると、近くの村を襲い始めたのです。奪った子供や物は、体に結えつけなくとも宙に浮いています。また、髪の毛の上には火が燃えています。怒った村人は槍で女たちを突いたのですが、血も出ません。反対に女たちの杖に散々痛めつけられます。もはや、逃げるしかありませんでした。
女たちは、元いた場所に戻ると、湧いた泉で血を洗い流します。
王様、これは神の仕業です。どうか、この神様をテーバイにお迎えください。葡萄と酒を授けてくださった神様です。この世に酒がなければ、色恋も楽しみも虚しいものとなりましょう。
ペンテウス
なんという狼藉、ギリシャの恥辱だ。ディオニュソスの信女を討伐せねばならぬ。兵士を集めよ!
ディオニュソス
ペンテウス王、神に向かって武器を取ってはなりませぬ。信女らを山から追い立てては、神様は黙ってはおられませぬぞ。
ペンテウス
牢破りめ、俺に説教するとは片腹いたい。山を信女らの血で染めて、ディオニュソスへの犠牲としてやろう。

ディオニュソスの提案

ディオニュソス
牛飼いが申しましたように、信女らの杖の前に、兵士たちは逃げることになりましょう。
そんなことにならぬよう、私には万事上手く収める手立てがございます。
ペンテウス
俺をだますつもりであろう。きさま、女どもと申し合わせておるのだろう。
ディオニュソス
信女らとは関係ありません。神様と私の間の申し合わせです。
ところで、王様は山にいる女どもをご覧になりたいとは思いませんか。
ペンテウス
うむ、不快であろうが、酒に酔った女どもを、見つからぬなら見たいと思う。
ディオニュソス
男の格好では、隠れていても見つかりましょう。
だから、女の格好をしてもらいます。これも、神から授かった知恵です。
ペンテウス
しかし、女の格好はどうもな......。少し考えさせてくれ。
(ペンテウス、宮殿に入る)

ペンテウスの運命は決まる

ディオニュソス
まんまと、網にかかったぞ。ペンテウスめ、信女のところに行き、命を落とし、罪を償うことになるのだ。
では、母の手にかかって最後を遂げ、地獄に落ちるその死出の旅路の衣装を、王に着けさせてやるとするか。
(ディオニュソス、宮殿に入る)

コロス
神の力の顕われは
急がず、されど過たず
人間の心狂いて
我執に迷い
神々を敬わぬものあれば
神意はこれを正したもう。
ゆるやかに流るる時の歩みをば
巧みに秘して、神々は
不敬の輩を討ちたもう、
古より守り来れる法を越えて
想いを馳せ、事理を探るは正しからず。

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