〈冥界のオデュッセウスとテイレシアス〉出典
オデュッセウス、冥界へ行く
オデュッセウスたちは、黒塗りの船に犠牲の羊を積んで冥界に向かいました。船はやがて、オケアノス河の涯、呪わしい闇が頭上を覆っている、キルケが教えてくれた冥界の場所に着いたのです。
下船すると、オデュッセウスは穴を掘り、乳と蜜を混ぜたもの、甘美の酒、水を注ぎ、願をかけ、羊の首を切り、血を穴に注ぎます。すると、亡者が集まってきました。しかし、オデュッセウスは剣を抜き、亡者が血に近づくのを許しません。
また、部下たちには羊の肉を焼き、冥王とその妻に捧げるよう命じます。そして、テーバイの預言者テイレシアスが来るのをじっと待っていました。預言者テイレシアスは、テーバイのオイディプス王の臣下でした。
最初に近づいてきた亡霊は、酔って魔女キルケの家の屋根から落ちて死んだ部下エルペノルです。彼を埋葬せず出航してきたので、彼はアイアイエの島に戻った時、埋葬してほしいとオデュッセウスに頼みました。
「そなたの願いは、果たしてやるぞ」と、オデュッセウスは約束します。
次に近づいてきたのは、母アンティクレイアの亡霊です。オデュッセウスは、母の死に涙しました。トロイアに出征した時は、まだ母は生きていたからです。しかし、テイレシアスが来るまでは、母であっても血に近づくことは許しません。
テーバイの預言者テイレシアス、現れる
テイレシアスはオデュッセウスに近づくと、
「ラエルテスが一子、智謀に富めるオデュッセウスよ、血を飲ませてくれ、真実を話すから、その剣を引いてくださらぬか」
オデュッセウスが剣を抜き退くと、血を飲んだテイレシアスは語り始めました。
「オデュッセウスよ、そなたは帰国を求めているのであろう。しかし、かつて目を潰したキュクロプスの父ポセイドンが、苦難の旅にしている。
トリナキエの島で、陽の神エエリオスの牛と羊については注意せよ。そなたと部下たちが気持ちを制御できれば、帰国の望みはある。もし、牛と羊に危害を加えなければ、そなたの一行はイタケに全員で帰れる。危害を加えれば、船と部下はすべて失われる。そなたは救われるが、他国の船で帰ることになろう。
屋敷に帰っても、さまざまな災厄にあう。館でそなたの妻ペネロペイアの求婚者たちが、そなたの家の蓄えを食いつぶし、狼藉を働いているからだ。その者どもを討ち果たした後、船の櫂をもって陸地を旅することになろう。
道行く男が、その櫂を「殻竿(からざお)」と言ったなら、その時こそ大地にその櫂を突き刺しなさい。そして、ポセイドンに、牡牛、牡羊、牡豚を捧げ、国に帰ったら神々のすべてに百頭牛を捧げなさい。そなたは幸福な最期を迎え、そなたの国の民もまた栄えるであろう。これがそなたに語る真実だ」
オデュッセウスは、最後に母のことをテイレシアスに尋ねました。
「あそこにいる母の亡霊に、私だとわかってもらうにはどうしたらよいでしょうか」
「そなたが血に近づくことを許せば、どの亡者も真実を話す、拒まれた亡者は引き下がってしまう」
こう言うと、預言者は冥界の館に帰っていきました。
※櫂の話は『オデュッセイア』にはでてきません。
母アンティクレイアの死の理由
母はオデュッセウスに気づくと、泣きながら話します。
「せがれよ、まだ生きているのに、どのようにしてこの冥界に降りてきたのですか。いまだイタケに帰らず、妻の顔も見ていないのですか」
「母上、テイレシアスの予言を聞くために、ここへ来なければならなかったのです。それはそれで、母上を襲った死の運命がどのようなものであったのですか。父上、息子、妻、わが王権のことなどお話しください」
母は、妻、息子、王権の無事、そして父ラエルテスが田舎に引きこもり、ぶどう畑の中で寝起きしながら帰りを待っていることを話しました。その後に自身のことも話します。
「わたしの命を奪ったのは、帰ってこぬそなたを待ちわびる辛い気持ちであった」
この言葉に、オデュッセウスは三たび駆け寄り三たび母を抱きしめようとしましたが、影のように彼の手をすり抜けてしまいます。
「せがれよ、人間は一度死ねば、こうなるのが定め。魂は夢のごとく飛び去って、ひらひらと虚空を舞うばかり。一刻も早く光の世界に戻り、妻に話せるよう、しっかりこの冥界を見ておきなさい」
次に、オデュッセウスはさまざまな女の亡霊に会いました。高貴な生まれチュロ、アソポスの娘アンティオペ、ヘラクレスの母アルクメネ、オイディプスの母イオカステ、ネレウスの美人妻クロリス、チュンダレオスの妃レダ、アロエウスの妻イピメデイア、ミノスの娘アリアドネなどなど。
トロイア戦争の勇者とヘラクレスの亡霊
次に現れたのは、アガメムノンの亡霊。妻と姦夫アイギストスにカッサンドラ、家来共々殺されたことを話します。また、息子オレステスの生死をオデュッセウスに尋ねました。
が、彼は知らないと答えました。アガメムノンは自身の災難を考え、くれぐれも故郷に帰ったら、人目に立たぬよう、女には信をおいてはいけないと注意します。
次にアキレウスの亡霊は、親友パトロクロス、アンティロコス、テラモンの子アイアスとともに現れました。彼は父ペレウスと自分が死んだ後の息子ネオプトレモスのことを尋ねます。
オデュッセウスは、ペレウスについては何も知らないと話し、あの木馬の中でのネオプトレモスの様子を、他の武将が震えていたり、青ざめていたりしていたのに、彼は平然としていたと褒めました。彼はトロイア陥落まで立派に戦い、生きて故郷に帰ったとも伝えました。
次に、オデュッセウスは、テラモンの子アイアスの亡霊と話そうとしましたが、彼は去っていってしまいました。アキレウスの死後その武具をオデュッセウスと争い、アイアスは負けて憤り自害したからです。
最後にヘラクレスの亡霊が現れました。が、本来の彼は天界でヘラの娘へべを妻にし神として暮らしているはずです。ここにいるヘラクレスは、人間としての部分が死んだもの。彼はかつて、10の難業の時、この冥界にケルベロスを連れに来たことを語りました。
オデュッセウスは、テセウスとペイリトオスにも会えるかと思いましたが、それはかないません。テセウスとペイリトオスは、かつて冥界の王妃ペルセポネを奪いにここに来たのです。その時、二人とも魔法の椅子に座らされました。ヘラクレスがケルベロスを連れに来た時、テセウスのみは助け出したとされています。
この後、オデュッセウスたちは、オケアノス河から現生に戻ってきたのです。