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女神アテナ〈オレステスと復讐の女神エリニュス〉

女神アテナと12人の市民裁判官の法廷の場。なんと、陪審員制度の裁判が行われています。「無慈悲の石」側に復讐の女神エリニュス、「非行の石」側にオレステスとアポロン神が立っています。

神が弁護人となるのは、ギリシャ・ローマ神話史上初めてのことであり、また最後の出来事です。評決の結果はどうなるでしょうか?同数の場合は、アテネの1票が運命を決定します。

オレステイア三部作 第3作
アイスキュロス作『慈しみの女神たち』
コロス(合唱隊)=復讐の女神エリニュス
オレステス=アガメムノンとクリュタイムネストラの子供
オレステイア三部作とは『アガメムノン』、『供養する女たち』、『慈しみの女神たち』のことです。
コロスとは?

ギリシャ悲劇における合唱隊で、物語の補足説明や感情の表現を担当します。物語の背景や登場人物の心情を伝え、合唱やダンスを通じて観客に物語の重要な要素を伝えます。

アテナイでのオレステスの裁判

[アレス丘の法廷の場]

(アテナ女神、12人の市民裁判官を率いて登場。「無慈悲の石」側に復讐の女神エリニュス、「非行の石」側にオレステスとアポロン神)

アテナ
アポロン神よ、神のお立場なら、ご自由に判断すればよいでしょう。なにゆえ、このような裁判にかかりあうのですか。
アポロン
私は証拠を立てるために出てきたのだ。オレステスは私への嘆願者であり、流した血を浄めるために行動した。私の託宣に従って自らの母を殺したのだから。弁護の役も引き受けよう。さらば、裁判を開始してください。
アテナ
では、裁判を開廷いたします。コロスはまず、原告として事実を正しく申し立ててください。
コロス
話はごく手短に済ませましょう。
(オレステスに)順を追って尋ねるので、返事をしておくれ。最初に、お前は母親を殺したかどうか。
オレステス
殺しました。否認しません。
コロス
これでまず先手必勝1本。で、どのように殺したのかね。
オレステス
手に剣を持って、首の後ろに斬りつけました。
コロス
誰に説得されて、また、誰の策略か。
オレステス
ここにいらっしゃる証人、アポロン様です。
コロス
どうして殺したのか、裁判官たちに教えておやり。
オレステス
夫でもあり、同時に私の父でもあるアガメムノン王を殺害したからです。
コロス
お前はまだ生きている。だが、奥方はもう死んでいるから罪はないのだよ。

アポロン神〈アポロン神〉

血縁の殺害とそうでない殺害

オレステス
それなら、どうして夫を殺した母を、あなたたちは追い回さなかったのか。
コロス
殺した夫と奥方は、血縁ではないからだ。お前は母親に抱かれ、乳を飲ませてもらい、育てられながら、その一番大切な母親の血を認めないのか。
オレステス
(アポロン神に向かい)どうか、証人として、説明をしてください。この流した血が神意に照らして正しいことをお示しください。
アポロン
皆さんにはっきり正しいことを伝えたい。予言を伝える者として、嘘は言うまい。かつて一度ならずもオリュンポスの父神ゼウスの意図でないものは伝えたことはない。
コロス
では、ゼウスがその託宣をあなたにくださり、そこのオレステスに命じた、というのかえ。父親の死には仕返しをし、母親はてんで大切にしなくていいと。
アポロン
その通り。素性正しいアガメムノンがゼウスの授けた王笏を取り、名誉の中で死を迎えることと、婦人の手にかかって果てることは、決して同じではありません。
コロス
ゼウスが父親を大事にするって⁉︎ ゼウス自身が父クロノスから王権を奪ったというのに。
アポロン
母というのは、父から受けた胤を胎内で育てる者に過ぎません。子をもうけるのは父親なのです。パラス・アテナよ、オレステスを御身の社に嘆願者として送り込んだのも、彼と後継者が御身に信義を保ち、アテナイの同盟者として、末永く享受できるようにしたためであります。
アテナ
では、アテナイの裁判官、由緒ある伝統の掟にのっとって、投票の石をとり、判決を下すのがよいでしょう。

オレステスの評決

(票石を数え終わり、裁判官たちはその結果をアテナに報告する)

アテナ
白黒同数となりましたので、掟により私の1票で決まります。私はオレステスに投じますゆえ、彼は無罪と判決されました。
オレステス
おお、パラス・アテナ様、あなたは私の家をお救いくださいました。今後、アルゴスの支配者として民を率いる者は、決してこのアテナイに敵対することはありませんでしょう。
コロス
なんということだ。新しい神々ったら、昔からの掟を破り、踏みにじったな。こうも侮辱されたからには、この土地に毒を、嘆きのかわりに毒を吐きかけてやる
アテナ
そんな悪態をつくのは止めなさい。同数の判決でしたから、あなた方の不面目さはないはずです。私は、あなた方に十分な誠意を示します。このアテナイに、立派な隠れ家、御座所を提供します。
コロス
(怒りが収まらず)ああ、こんなひどい目に遭うなんて。古い掟を守る私たち神々が、この地で侮辱され、忌み嫌われて住むことになるなんて。

※※新しい神々とは、ゼウスをはじめとするオリュンポスの12神のことを指します。それ以前の神々は、ゼウスの父であるクロノスをはじめとするティタン神族や太古の神々を指します。復讐の女神エリニュスは、クロノスがウラノスを去勢したとき、その血が大地女神ガイアの上にしたたり落ちて生まれました。したがって、エリニュスは古い神々に含まれます。

復讐の女神たちは慈しみの女神たちへ

アテナ
まあ、私の予言をお聞きなさい。このアテナイは、これから先大いなる名誉を受けていきます。そして、あなた方は、エレクテウスの宮のそばに、他の国々からは決して受けることのできない御座所を持ち、市民から尊崇を享受されるでしょう。こうした道をお勧めしているのです。
コロス
(なお不満の顔で)ああ、こんなひどい目に遭うなんて!
アテナ
あなた方のためにはっきり言います。あなた方はこのアテナイで正しい権威を享受し、名誉を受けていくのです。
コロス
(少し落ち着いて)どんな名誉の役目を私たちにくださるとおっしゃるのですか?
アテナ
どんな家でも、あなた方なしでは栄えていけない、ということです。
コロス
ほんとうに、そうまでしてくださいますの、そんな大きな権限までも?
アテナ
ええ、あなたがたを敬い崇める者だけに、その幸せを差し上げます。
コロス
では、アテナ様と一緒の住居をお受けしましょう。また、この都を侮ることもいたしませぬ。

草木をそこなう禍が
燃え立つような暑さで吹きつけ
木の芽を枯らしたりせぬよう
鞘皮から外へ萌え出るのを押しとめる
これが今いう、私たちの慈しみ

アテナ
そうした慈みを、私の国にしてくださるあなた方の、お心づくしを嬉しく思います。これで、今日の裁判を閉廷いたします。

(一同、退場)

市民たちの先達
末永くアテナイの市民は護られましょう。万事ご覧の御神ゼウスは、運命の女神たちと、こう決定されましたゆえに。

[終劇]

ネメシス〈ネメシス〉

ネメシスは元来は「義憤(人間が神に対して無礼な行為に対する神の憤りと罰の擬人化)」の意味ですが、よく「復讐」と誤解されます。

ネメシスは、主に翼を持った女性として描かれます。アテナイでは、ネメシスの祭りであるネメセイア(Nemeseia)が行われていました。この祭りは、適切な供養を受けなかった亡くなった人々の怨み(nemesis)が生きている人々に向かわないように祈るために行われました。