ラグルネ〈ヘレネはテレマコスと分かる〉
父オデュッセウスの行方を追って旅をするテレマコスは、老ネストルの息子ペイシュストラオスとともにスパルタの王メネラオスを訪ねます。
ちょうど娘ヘルミオネの婚礼の宴が開かれており、豪華な広間に圧倒されながらも、メネラオスの言葉に父への思いを募らせ涙します。
そこに現れたヘレネは、テレマコスの姿にオデュッセウスの面影を見出し、二人の正体が明かされます。メネラオスはテレマコスをねぎらい、ヘレネが酒に混ぜたのは、悲しみを忘れさせるエジプトの秘薬でした。
テレマコス、メネラオスの屋敷へ
テレマコスと、老ネストルの息子ペイシュストラオスは、スパルタの王メネラオスの屋敷に到着しました。ちょうどそのとき、屋敷では宴が催されていました。
宴の趣旨は、メネラオスとヘレネの娘ヘルミオネを、アキレウスの息子との婚姻のために送り出すもの。アキレウスの息子とは、トロイア戦争にも参戦した勇士ネオプトレモスです。
メネラオスの従者に案内され、テレマコスたちはメネラオスのすぐ傍らの席に通されました。広間に並ぶ黄金や銀、象牙の装飾の豪華さに、テレマコスとペイシュストラオスは思わず声を潜めて驚きを語り合っていました。
そのささやきが耳に届いたメネラオスは、ふと語りかけます。
「子どもたちよ、そなたらも知っていようが、かの男──わしの兄が、ある者に殺された。そのことがあって以来、こうして広間にいても心は晴れぬ。
そしてまた、トロイア戦争で失った多くの戦友たちを思えば、いまだ涙がこぼれる。その中でも、とりわけオデュッセウスのことは、忘れようにも忘れられぬ。祖父ラエルテス、妻ペネロペイア、そして子のテレマコスも、深く嘆いておろう」
その言葉に、テレマコスはこらえきれず、静かに涙をこぼしたのです。
トロイア戦争の元凶ヘレネ、現れる!
若者がオデュッセウスの息子であることを、すでに察していたメネラオスが言葉を選びかけていたそのとき、ヘレネが姿を見せました。
ヘレネは夫に問いかけます。
「わが君、メネラオス。この方々はどなたですか? とくにこちらの若者、どこか……あの勇士オデュッセウス様によく似ております。恥知らずな私のせいで、トロイアまで遠征してきたあの方の面影が、あちこちにございます」
「おお、奥よ。そなたの言うとおりだ。頭の形、髪の毛、目の配り方、手も足も……まさしくオデュッセウスそのものだ。彼が、どれほどの苦労をわしのために引き受けてくれたことか」
カノーヴァ〈ヘレネ〉
ネストルの息子、テレマコスの素性を明かす
その会話に答えるように、ペイシュストラオスが言います。
「ゼウスに愛されたメネラオス王よ。おっしゃるとおり、この方こそオデュッセウスのご子息、テレマコス様です。私は父ネストルの命を受け、この方をお連れしました。
父を失い、大人の支えを必要とする子には、家の中でもさまざまな苦労があります。テレマコス様の場合も、まさにそうなのです」
トロイア戦争後、オデュッセウスは行方不明となり、すでに10年が経過。妻ペネロペイアのもとには、街の有力者の息子たちがこぞって求婚に訪れ、オデュッセウスの屋敷で飲み食いし放題の無法を重ねていました。ペネロペイアは機転を利かせ、さまざまな理由をつけて求婚者の申し出をかわし続けていましたが、テレマコスの立場はまったく顧みられていませんでした。
メネラオスの嘆きとヘレネの心遣い
それを聞いたメネラオスは、こう嘆きます。
「ああ、なんということか……。わしのために艱難辛苦をなめてくれた友の子が、そのような仕打ちを受けていようとは。
もしオデュッセウスが無事に帰って来られたならば、ここアルゴスに広大な敷地と屋敷を与え、わしとの友情を子にも引き継がせようと考えていたのだ。だが、いまだ消息も知れぬとは、まことに気の毒なことだ……」
その場にいた皆が、涙を禁じ得ませんでした。
「だが、今はしばし悲しみを忘れ、食事としよう。明日になれば、テレマコス殿、心ゆくまで語り合おうではないか」
そのメネラオスの言葉に応え、ヘレネは静かに酒杯に薬を混ぜます。かつて彼女が訪れたエジプトの名医から贈られた秘薬で、心の苦悩をすべて忘れさせるというものでした。
たとえ父母を亡くし、目の前で兄弟や子どもが殺されようとも、その日だけは涙を流すことなく過ごせるといわれる薬です。
やがて酒宴が再開され、ヘレネはゆっくりと語り始めました。
──果たして、彼女は何を語るのか?