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ギュスターブ・モロー〈岩の上のサッポー〉
モロー〈岩の上のサッポー〉

モロー「サッポーの衣裳について」

モローは、サッポーの衣裳について次のように記しています。

「私の作品《サッポー》の場合、私は彼女に巫女の聖性、巫女といっても詩人である巫女が持っている聖性を付与しようと考えた。

それゆえ、優美さと厳格さの印象を与えることができるように、そしてなによりもまず、詩人の最大の特性である多様性、想像力を人の心に呼び覚ますことができるような衣装を身につけさせることにしたのだ」

サッポーは10番目のムーサ

サッポーは前7世紀ギリシャの女性詩人。ファオン(パオン)という美しい青年に恋したが受け入れられず、レウカディアの岬から身を投げたという伝説があります。

彼女は「恋人の身投げ岩」から飛び込んだ者が、もし体を損なうことなく水に入れば、その激しい恋も胸から消えるという迷信を信じて身を投げたといいます。

サッポーは生前から詩人として著名であり、プラトンはサッポーの詩を高く評価。彼女を「10番目のムーサ」とも呼んでいます。

また、サッポーは古代ローマ時代にもよく知られ、オウィディウスは抒情詩「愛について」の中で「いまやサッポーの名はあらゆる国々に知られている」と書いています。

※ムーサ=アポロン神に仕える9柱の芸術の女神たち

ギュスターブ・モロー〈サッポーの死〉
モロー〈サッポーの死〉

サッポーと同性愛

サッポーは、彼女によって選ばれた若い娘しか入れないある種の学校をレスボス島に設立。文芸・音楽・舞踊を始めとする教育が行われました。

また、様々な女性に対する愛の詩を多く残し、サッポーと同性愛を結びつける指摘は紀元前7世紀ごろから存在しました。サッポーの詩のうちの一部は、生徒のために書かれたものです。

サッポーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びます。古代ローマ時代にもサッポーは非難の的でしたが、その後キリスト教が興隆し、キリスト教学が広まっていくにつれ、サッポーの詩は「反聖書的である」とされました。

ギリシャの学者たちは、キリスト教の力の及びにくいエジプトへ逃げて学問を続けてます。だから、サッポーの詩はエジプトのアレクサンドリア図書館に所蔵されました。その後、キリスト教徒により、図書館は破壊されます。

現代では、Sapphic(サッポー風の)は女性同性愛者を、Sapphismは女性同性愛を示すのに用いられます。また、女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である「レスビアン」もサッポーがレスボス島出身であることに由来。

ちなみに、英語で「レスボス人」は"lesbian"と表記、これは「レズビアン」の"lesbian"と同じつづりです。

シャルル・メンギン〈サッポー〉
メンギン〈サッポー〉恋人の身投げ岩?