〈ヘクトルとアンドロメダの別れ〉
アキレウスはアゲノルの姿に化けたアポロンを追い、クサントス河まで誘い出されてしまいます。そこで神に欺かれたことを知ったアキレウスは怒り、急いでトロイアの城門へ引き返しました。
一方、城門の前ではヘクトルがただ一人とどまり、迫るアキレウスを待ち受けます。父プリアモスと母ヘカベは涙ながらに城内へ戻るよう訴えますが、ヘクトルはそれを聞き入れません。
しかし輝く武具をまとったアキレウスの姿を見た瞬間、彼は思わず逃げ出してしまいます。その様子を見たゼウスは哀れみを覚えますが、アテナはすでに定められた運命だと告げます。
こうして、神々に見守られる中、宿命の決闘の時が近づいていきました。
アポロンの幻術、アキレウスを欺く
アキレウスはアゲノルの姿をしたアポロンを追い、ついにクサントス河のほとりまで追い詰めました。
その時、アポロンは正体を現して言います。
「アキレウスよ、なぜ人間の身で神を追いかけるのだ。トロイア兵はすでに城門の中へ逃げ込んだぞ」
アキレウスは怒りに燃えて答えます。
「遠矢の神アポロンよ、よくも私を欺いたな。こんな所まで誘い出すとは理不尽なことだ。私はいずれ死ぬ運命だとしても、だからといって仕返しを恐れぬと思ったのか」
そう言うとアキレウスはすぐに向きを変え、トロイアの城門へ向かって駆け出しました。
ヘクトル、両親の嘆願を退ける
その頃、トロイア城門の前ではヘクトルがただ一人、外に立っていました。そこへアキレウスが迫ってきます。
城壁の上からそれを見た老王プリアモスは、息子に必死に呼びかけました。
「ヘクトルよ、頼むから城内へ戻れ。アキレウスと戦ってはならぬ。あの男は無慈悲な戦士だ。すでに多くの息子を殺された。ラオトエが生んだリュカオンとポリュドロスも帰ってこない。おそらくもう命はあるまい。そのうえトロイアの希望であるお前まで失えば、この国は滅びてしまう」
しかしヘクトルは父の言葉にも動こうとしませんでした。
今度は母ヘカベが胸をはだけ、乳房を見せて涙ながらに訴えます。
「わが子ヘクトルよ、そなたを育てたこの乳房を忘れたのか。どうか母を哀れんで城内へ入りなさい。もしそなたが討たれれば、母も妻アンドロマケもその亡骸を抱いて弔うことさえできぬ。アキレウスはそれほど無情な男なのだから」
それでもヘクトルは動きませんでした。
ヘクトルの迷い
ヘクトルの胸には、激しい葛藤が渦巻いていました。
『私は愚かなことをした。アキレウスが戦場に戻った時、プリュダマスは退却を勧めた。あの時言葉を聞いていればよかった。だが私は耳を貸さず、多くの兵を死なせてしまった。今さら城に戻れば、トロイアの民に顔向けできない』
彼はさらに考えます。
『それともヘレネと彼女が持ってきた財宝を返し、さらにトロイアの財産の半分を差し出すと約束すれば、戦いは終わるだろうか。いや、今さら何を考えているのだ。結局はアキレウスと戦うしかない。勝つか負けるかは、ゼウスが決めることだ』
しかしその時、アキレウスが軍神アレスのごとく輝く武具をまとって近づいてきました。その姿は太陽のようにまばゆく輝いています。
それを見た瞬間、ヘクトルの勇気は揺らぎました。思わず彼は背を向け、城壁の周りを走り出します。アキレウスはすぐに追いかけました。
ゼウスの迷い、アテナの決断
その様子をオリュンポスから見ていたゼウスは、思わずつぶやきました。
「どうしたものか。追われているヘクトルが哀れでならぬ」
すると女神アテナが苛立って答えます。
「すでに死ぬ運命が定まった人間に、なぜそのようなことを仰るのです。もし助けたいなら、お好きになさればよろしい」
ゼウスは微笑して言いました。
「娘よ、気にするな。そなたの思う通りにせよ」
その言葉を聞くと、アテナはただちにオリュンポスを飛び立ち、戦場へ向かいました。
一方アポロンも、ついに決断します。
「もはやこれまでだ」
これまでアポロンはヘクトルの足を軽くし、逃げやすくしていました。しかし神はその助けをやめ、ヘクトルのそばを離れたのです。
こうして、ついに運命の決闘が始まろうとしていました。
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