〈アキレウスの凱歌〉
デイポボスに変身したアテナの策略
アテナはアキレウスに近づいてささやきます。
「アキレウスよ、私が一騎打ちの勝負をさせてやろう。アポロンをもう気にすることはない」
アキレウスは走るのを止め、槍を地面に突き刺すとその槍にもたれかけます。アテナはヘクトルの弟デイポボスに姿を変えるとヘクトルに近づきます。
「兄者よ、我らはここで一緒にアキレウスと戦おうではないか」
「おお、デイポボスよ、私のために出てきてくれたか」
ヘクトルとデイポボス(アテナ)はアキレウスに近づくと、ヘクトルがアキレウスに提案しました。
「アキレウスよ、どちらが討たれるにせよ、武具を剥ぎ取るのはいいとしても、遺体はそれぞれの家に返そうではないか」
「そんな取り決めなどしない。今こそ、ヘクトルよ、そなたの槍の腕前を示し面目を保て。もはや、逃げかくれはならぬ。アテナが私の槍でおぬしを倒されるであろう」
こう言うや、アキレウスは槍を投げました。ヘクトルは頭を下げてこれをかわすと、槍は彼の後方の地面にささります。アテナはその槍を引き抜くと、ヘクトルには気付かれないようアキレウスに戻しました。
アキレウス、ヘクトルを倒す
「アキレウスよ、仕損じたな。今度は私の槍を受けてみよ」
ヘクトルが槍を投げると、楯の真ん中に当たりましたが遠くへはじき返されます。ヘクトルは近くにいるはずのデイポボスに代わりの槍を求めましたが、デイポボスの姿はそこにはありません。
『神々は、私の死を決したな。さてはアテナがデイポボスに扮して私をだましたのか。もはや、見苦しい死にざまは避け、華々しく散っていこう』
ヘクトルは、太刀を取りアキレウスに対峙します。アキレウスは槍を持つと、冷静にヘクトルの武具を見つめました。この武具はかつては自分のもの、パトロクロスに貸したものです。
体をほとんどをおおう立派な武具ですか、ただ一箇所、体が現れている箇所があります。首です。アキレウスは正確にヘクトルの喉笛を刺しました。ヘクトルは、地面にドーンと仰向けに倒れました。
アキレウスの凱歌
「ヘクトルよ、パトロクロスを倒して安心し、背後に私がいるのを忘れていたか。おぬしの遺体は、野犬や野鳥に食いちぎられる。一方、パトロクロスは丁重に葬られるであろう」
ヘクトルは、弱々しいかすれ声で嘆願しました。
「アキレウスよ、おぬしの両親にかけて頼む。私の遺体は、トロイアに返してくれ」
「私の両親にかけて哀願するのはやめてくれ。おぬしの両親が莫大な身代金を払おうとそうはならぬ」
「やはり無理であったか。しかし、いずれアポロンの矢がおぬしを討ちとることになろう」
そう言い終えると、ヘクトルは息絶えました。
アキレウスは武具を剥ぎ取ると戦車に乗せました。すると、ギリシャ勢は誰もがヘクトルの遺体に槍や太刀を刺します。
その後、アキレウスはヘクトルの両足のくるぶしに穴を開け、紐を通すと戦車にくくりつけ、城門の周りを走り始めました。プリアモス王夫妻、トロイアの市民はみんな嘆き悲しんでいます。
卒倒するヘクトルの妻アンドロマケ
アビル〈卒倒するアンドロマケ〉
ヘクトルの妻アンドロマケは自宅にいて、夫の死をまだ知りません。が、外のざわめきに不安になり、召使ともども城門に登りました。そこで見た光景、無残にもアキレウスが戦車で夫を引き回してるのを見ると、卒倒しました。
しばらくして気がつくと激しく泣き叫びます。
「ヘクトル、私はなんという不幸な女。生まれねばよかった。私たちの息子アステュアナクス(「町の守護者」の意)は、どんな不幸な目にあうことだろうか。ああ、ヘクトル」
※トロイア陥落後、アステュアナクス(本名スカマンドリオス)はまだ幼児であったが、城門から投げ落とされます。