ハミルトン〈アキレウス、ヘクトルの遺体を見せる〉第23歌
アポロンの訴え
夜が明けると、アキレウスは戦車にヘクトルの遺体を引きずったままパトロクロスの墓を三たび回ります。アポロンをはじめ、神々はヘクトルを哀れに思い、ヘルメスに遺体を盗み出すことをすすめていました。が、ヘラ、ポセイドン、アテナは、断固反対します。
ヘクトルの死後12日目に、アポロンは神々に訴えます。
「神々よ、あなた方はみな非情だ。ヘクトルの家族のことを少しも哀れと思わない。また、憐れみを忘れた凶暴なアキレウスの肩を持つ。彼にとっても、誇れることでも得になることでもない」
ヘラが答えます。
「アポロンよ、アキレウスとヘクトルに同じ栄誉を与えたいと言うなら、その母の格の違いを思い起こせばいい。かたや女神テティスの子、かたやただの人間の子だ」
ゼウスが間に入ります。
「ヘラよ、もちろん同格ではない。しかし、ヘクトルとて、トロイア人の中では最も神々に愛された男であった。いつも、われらの祭壇に生贄をささげていた。だが、アキレウスに気付かれずに、ヘクトルの遺体を盗み出すことは無理なこと。誰でも良い、テティスをわしの元に呼んできてくれ」
ぜウス、アキレウスの母テティスに告げる
虹の神イリスが、テティスに伝言します。
「お立ちなさい、テティス、ゼウスがお呼びです」
イリスとテティスの二人が海の上を行くと、二人の周りの波が割れて道ができます。二人は陸も過ぎ、オリュンポスに着きました。
ゼウスはテティスに、
「テティスよ、尽きせぬ悲しみを背負っているのによく来てくれた。実は、ヘクトルの遺体のことで、神々の間で争いが起きている。ヘクトルの遺体のことで、神々は快く思っていない、とりわけわしが腹を立てているとアキレウスに伝えてくれ。プリアモスの方にはイリスを送り、多くの身代金を用意するよう伝える。決して、アキレウスの顔は潰さないと約束する」
テティスにもわかっていることであって、早速アキレウスに伝えます。
「いつまでも悲しんでいるのは良くない。それに、そなたの運命もある。今日は、ゼウスの使いとしてきました。神々が、とりわけゼウスがお怒りなので、身代金をとってヘクトルの遺体を返すようにと」
「オリュンポスの大神がそう命じるなら、そういたしましょう」
虹の神イリス、プリアモスの館へ
一方、ゼウスはイリスを呼んで命じました。
「プリアモスに伝えよ、身代金を持ってギリシャのアキレウスの船陣に行き、ヘクトルの遺体を引き取れとな。
ただし、プリアモス一人で行くこと。老いた従者なら一人連れて行っても良い。命の危険や恐れを抱くことはない。ヘルメスを案内人として同行させる。アキレウスとて無分別でも無謀でもあるまい。きっとヘクトルの遺体の返還に答えてくれるだろうとな」
イリスはプリアモス王の館に行き、ゼウスの言葉を伝えました。
プリアモス王の決意と妃ヘカベの想い
さっそくプリアモス王は馬車の手配を命じ、妃ヘカベにゼウスの伝言を伝えました。
「たった今、ゼウスの使者がいらした。一人でアキレウスの船陣に行き、莫大な身代金と引き換えに、ヘクトルの遺体を引き取るようにと仰せになった」
「ああ、情けない、何を仰せられます。たくさんのわが子たちを殺した非道のアキレウスの船陣へ、たったお一人で行かれるとは。あなたは分別を失っています。あなたの心は鉄でできているのですか。ああ、アキレウスの肝に食らいついて、貪り食ったらどんなにかよかろう」
「もう、行くつもりでいるわしを止めてくれるな。今度のことは、わしがこの目で神の使いを見、ゼウスの言葉を聞いたからだ。単なる占い師などの世迷い事ではないのだ」
プリアモスの出発にヘカベも酒杯を持ち、夫にゼウスに祈るよう促します。
プリアモスは女中に水を注がせて手を洗い、ぶどう酒を酒杯で捧げるとゼウスに祈ります。
「偉大なる父神ゼウスよ、無事にヘクトルの遺体を連れて帰れますようにお計らいください。できれば、鳥の中でも一番強い鷲を幸運の右側にお遣わしください」
ゼウスはこの願いを聞くや否や、鷲を右手の方に遣わしました。それを見た一同は喜びました。
こうして、プリアモスと一人の老いた従者は出発しました。
また、ゼウスはヘルメスを呼んで命じます。
「ヘルメスよ、プリアモスを無事にアキレウスの船陣に連れて行ってやれ。決して、他のギリシャ勢には気づかれぬようにな」