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イピゲネイアの犠牲と奇蹟〈イピゲネイアの犠牲と奇蹟〉

発覚する父アガメムノンの嘘に対して、イピゲネイアは初めは悲しみます。

しかし、トロイア遠征の船出ができない現実、逃れられない運命を知ると、覚悟を決めます。

「お母さま、どうか私の覚悟をお聞きください。私の言うことが正しいことか。私は潔く死んだ方がよいのです。今、ギリシャの全ての人々が、私を見ています」

そして、アルテミス祭壇前に自ら向かいます。

エウリピデス作【アウリスのイピゲネイア】③
コロス(合唱隊)=アウリス対岸のカルキスの女たち
コロスとは?
ギリシャ悲劇における合唱隊で、物語の補足説明や感情の表現を担当します。物語の背景や登場人物の心情を伝え、合唱やダンスを通じて観客に物語の重要な要素を伝えます。

アウリス港とトロイア

クリュタイムネストラ、夫を問い詰める

[アウリスの浜、アガメムノン王の陣屋前]

(クリュタイムネストラ、登場)

クリュタイムネストラ
陣屋を出て夫を探しに出たけど、どこにもいない。かわいそうに、イピゲネイアは犠牲のことを知って声を張り上げて泣いている。あっ、夫が帰ってきました。

(アガメムノン、登場)

アガメムノン
妻よ、娘のいないところで話したいことがある。婚礼の前に女神アルテミスに捧げる仔牛の支度も整った。
クリュタイムネストラ
仰せのことはご立派ですが、あなたのなさることはほめられません。
姫よ、お出でなさい。父上がこれから何をなさるか、すべて知っておいでだものね。

(イピゲネイア、弟オレステスを抱いて登場)

アガメムノン
姫よ、そんな悲しそうな目つきをして、なぜ泣いているのか?
クリュタイムネストラ
何から尋ねたらよいものか。はっきりとお答えください。娘を殺すつもりなのですね。
アガメムノン
何をいうか。真当なことを聞くのなら、真当に答えもしようが......
クリュタイムネストラ
話をそらさないでください。

発覚するアガメムノンの嘘

アガメムノン
おお、運命の神よ。隠しごとが洩れてしまったか。
クリュタイムネストラ
あなたは以前、私の先夫タンタロスを殺したばかりか、赤ん坊もとりあげ地面に叩きつけました。そして、私の兄弟カストルとポリュデウケスが攻めてきた時、老父チュンダレオスが嘆願するあなたを庇護し、私を妻にしたのです。そして、3人の娘と男の子が一人生まれました。

今度は、その娘の一人を殺すおつもりですか。性悪女メネラオスの妻ヘレネを取り戻すために。当事者のメネラオスの娘ヘルミオネをお殺しなさればよいことです。
また、総大将として、皆にこうお告げください。
「兵士たちよ、トロイアへ船出したいのなら誰の娘を殺せばよいか、くじを引いて決めればよいのではなかろうか」と。
イピゲネイア
お願いでございます。私をお殺しにならないで。まだ、あの世に行きたくはありません。お父様は、私がまだ小さい頃こうおっしゃいました。
「娘よ、夫にかしずいて、幸せに暮らしているお前を見ることがあるだろうか」
私はお父様のあごひげに触りながら、こう申し上げました。
「では、お父様がお年を召したら、私の家にお迎えして、苦労して育てていただいたご恩返しをいたしましょう」と。
私はよく覚えております。それなのに、お父様はすっかりお忘れになって……。
アガメムノン
娘よ、妃よ、船を連ねたあの兵士たちを見るがよい。予言者カルカスの言うところでは、お前を犠牲に捧げなければならぬ。
もし、女神のご託宣を無にすることになれば、どんな禍いがギリシャを襲うかわからない。
私はメネラオスの奴隷になったわけではない。ギリシャのために、お前を殺さねばならないのだ。

(アガメムノン、退場。クリュタイムネストラとイピゲネイア、崩れ落ちる)

アキレウスも驚くイピゲネイアの覚悟

(アキレウス、登場)

アキレウス
兵士どもは、姫を殺さねばならぬと叫んでいます。私でさえ、非難され、石を投げられてここに来ました。部下のミュルミドンの兵士さえ、私が女の奴隷だとして真先にはむかいました。
クリュタイムネストラ
姫を助けようとなさったばかりに。なんとお答えになりました。
アキレウス
私の許嫁を殺さないでくれと。でも、一人でも必ずあなた方をお守りします。
クリュタイムネストラ
姫を捕らえに、誰かがやってくるのでしょうか。
アキレウス
オデュッセウスに率いられて、群れをなして参りましょう。でも、私が引き止めます。
イピゲネイア
お母さま、どうか私の覚悟をお聞きください。私の言うことが正しいことか。
私は潔く死んだ方がよいのです。今、ギリシャの全ての人々が、私を見ています。将来、異邦人がギリシャの女たちに危害を加えたり、略奪したりしないように、ヘレネを奪ったパリスに罪を償わせなければなりません。
お母さま、兵士たちは死をいとわぬ心意気です。それを私一人の命が妨げてよいのでしょうか。
また、このお方が非難をお受けにならないよう気をおつけにならなくては。全兵士と争って、万が一お命を落とすことになってはなりません。男一人の命は、女千人の命より大切なものです。
アキレウス
姫様、あなたの立派なお人柄を拝見しまして、妻にしたいと思うばかりです。たとえ、全てのギリシャ兵と戦っても、あなたをお救いしなければ、この心がおさまりませぬ。
イピゲネイア
あなた様は私のために死んだり、人を殺したりなさらないでください。私は、もう覚悟いたしました。
アキレウス
そうお決めになったからには、もう何も申し上げることはありませぬ。立派なお心がけです。
私は万が一の場合に備え、祭壇のそばに待機しております。

(アキレウス、退場)

イピゲネイアと母の別れ

イピゲネイア
お母さま、なぜ黙ったまま涙など浮かべておいでなのですか。
クリュタイムネストラ
ああ、どうして悲しまずにいられましょう。
イピゲネイア
お願いがあります。女神の祭壇が私の墓石になりますから、私のために喪に服さないでください。
また、ギリシャのためですから、お父様をお恨みになりませぬように。
クリュタイムネストラ
あなたのことで、いずれ夫はひどい目にあわねばなりますまい。妹たちにはなんと伝えたらいいか。
イピゲネイア
ご機嫌ようとだけ。また、オレステスをどうか立派な男に。(周りの兵士に)さあ、私を連れて行ってください。
クリュタイムネストラ
私があなたを連れて行きますが......
イピゲネイア
お母さまではいけませぬ。それは良くありません。
クリュタイムネストラ
ああ、イピゲネイア、私を見捨てないでおくれ。

(クリュタイムネストラ、陣屋へ退場。イピゲネイア、連れてゆかれる)

コロス
ああご覧なさい。イリオンを滅ぼすために
あの方がおいでになる、頭に冠をつけ
清めの水に身をそそぎ、女神の祭壇へ。
あなたの美しいうなじは血のしずくによごれ
父君の注がれる清めの水があなたを待っています。

さあ、ゼウスの娘、アルテミス女神を
誉めたたえてお仕合せを祈りましょう。
女神さま、人身の御供物に心をやわらげ
トロイアにギリシアの兵士をお送りください。

アルテミス祭壇前の奇蹟

イピゲネイアの犠牲〈イピゲネイアの犠牲〉

(使者、登場)

使者
クリュタイムネストラ様、陣屋から出ておいでを。

(クリュタイムネストラ、登場)

クリュタイムネストラ
また、悪い知らせを持ってきたのかと心配です。
使者
お姫様のことで、不思議なことをお知らせしたいと存じます。
お姫様はお父様の近くに立たれて、こうおっしゃいました。
「お父様、ギリシャのためにこの身体は喜んでお献げいたします。どうぞ、女神の祭壇へお導きを。つきましては、誰一人にも私に手を触れさせないでくださいまし。黙ってこの首を捧げますから」

皆の者はお姫様の勇気と立派さに驚きました。
祭司を務めるタルチュビオスは「静かに」と言い渡しました。
予言者カルカスは抜身の剣を黄金のカゴに置き、お姫様に冠を付けました。
アキレウスは、祭壇をまわりこう述べました。
「夜を照らす女神アルテミスよ、この供物をお受けください。乙女の首から滴る清らかな血を。つつがなく船出がかない、トロイアの砦を攻め落とさせたまえ」

その時です、突然奇蹟が起こったのです。

タルチュビオスが振るった刃の食い入る音を誰もが聞いたかと思うと、お姫様が消えてしまったのです。
そして、一匹の大きな牝鹿が横たわっていて、その血が祭壇一面に飛び散っているではありませんか。
一同はどよめき、呆然としていました。

そんな中、カルカスが喜んでこう叫びました。
「この鹿は祭壇を高貴な乙女の血で汚してはならぬと、女神がおつかわしになった犠牲です。さあ、兵士たちよ、船に乗ってくれ。今日、われらはアウリスの港を去って、イリオンへと向かう」
アガメムノン様が、この女神からの名誉をギリシャ中に伝えるよう私を遣わしたのです。今日、お姫様は神々の元へ飛んでいかれたのでしょう。
クリュタイムネストラ
信じられません。これは悲惨な私のために、誰かが考えた話でしょう。

(アガメムノン、登場)

アガメムノン
妃よ、姫のことは安心していい。真実、姫は神の元へ参ったのだから。
そなたはオレステスを連れて家へ帰るがよい。また、トロイアから便りを送るとしよう。幸せを祈っているぞ。
コロス
アトレウス家の殿様、
トロイアからご無事で
お帰りなさることをお祈りします。
素晴らしい獲物を持って
帰ってこられますように。

アウリスのイピゲネイア[まとめ]

アガメムノン』で、ギリシャ軍の総大将であったアガメムノンが妻クリュタイムネストラと姦夫アイギストスによって殺されました。

なぜ、クリュタイムネストラが夫であるアガメムノンを殺すことに至ったのか?その最大の理由は、アガメムノンが娘のイピゲネイアを犠牲にしたことです。

また、もともとアガメムノンはクリュタイムネストラの最初の夫であるタンタロスとその子供を殺したことも、彼女の心の奥にはあったでしょう。

そして、アガメムノンの父アトレウスとアイギストスの父テュエステスの間にも、忌まわしい事件があった因縁がありました。

クリュタイムネストラとアイギストスは、両者とも同様に無意識のうちにアガメムノンを嫌っていたため、アガメムノンがトロイア戦争に出征している間に結びついたと言えるでしょう。