〈シーシュポス〉
シーシュポスの神話
コリントスの建設者であるシーシュポスは、テッサリア王アイオロスとエナレテの息子でした。
ある時、誘拐されたアイギナを探していた父の河神アソポスがやってきました。その際、シーシュポスはアソポスに、館に涸れることのない泉を湧き出させる条件として、ゼウスがアイギナを連れていたことを告げ口しました。
さらに、シーシュポスの父であるアイオロス王が亡くなり、兄弟のサルモネウスが後を継ぐと、怒りを覚えたシーシュポスはデルボイのアポロン神に神託を求めます。
「おまえの姪との間に子が生まれれば、その子が復讐を果たすだろう」
そこで、シーシュポスはサルモネウスの娘テュロを誘惑し、二人の子をもうけます。
しかし、彼女がその子供たちを父への怒りからではなく、自分への愛情から生まれたものと知ると、彼女は二人の子供を自ら殺してしまいます。
ゼウスは怒り、死の神タナトスを派遣
ゼウスは、シーシュポスが河神アソポスに告げ口し、そしてテュロを誘惑したことに怒り、死の神タナトスに彼をタルタロス(冥界よりも深い場所)に連れて行くよう命じました。
タナトスが到着し、手錠をかけようとすると、シーシュポスが尋ねます。「その手錠の使い方を教えてもらえますか?」
タナトスは疑問を抱かず、実際に手錠の使い方を示すと、その隙にシーシュポスはタナトスに手錠をかけたまま、自分の館に幽閉してしまいます。
これにより、軍神アレスと冥界の王ハデスは困惑しました。なぜなら、死の神タナトスが不在で、彼らの管轄である「人の死」がなくなってしまったからです。結果として、アレスとハデスの威厳が損なわれました。
そこで、アレスはシーシュポスを捕らえ、タナトスを解放しました。解放されたタナトスが最初に与えた死がシーシュポスであったことは言うまでもありませんでした。
「決して自分の葬式を出してはならぬ」
冥界に連行される運命を知っていたシーシュポスは、妻メロペに対して次のように伝えました。それには特別な意図がありました。
「葬式も出さない妻を懲らしめたいので、3日間だけ生き返らせてくれ」
冥界に到着すると、シーシュポスは冥界の王ハデスと妻ペルセポネに訴えます。許しを得たシーシュポスは生き返りましたが、その後は自然の美しさ、食べ物の楽しみ、そして女性との喜びに魅了され、二度と冥界に戻ることはありませんでした。
シーシュポスの岩の刑罰
ゼウスの怒りは頂点に達し、ヘルメスが派遣され、シーシュポスはタルタロスへと連れ去られ、永遠の罰を受けることになりました。
彼が大きな岩を山頂に運び上げると、岩はふもとに転がり落ち、再び山頂に運び上げると、また転がり落ちる…という永遠の繰り返しです。
しかし、狡猾なシーシュポスはなぜこの永遠の罰を受け入れたのでしょうか?
シーシュポスと同様に永遠の罰を受けるプロメテウスを思い起こさせます。二人には「誇り(プライド)」という共通項がありますが、その違いは、シーシュポスの誇りには悪賢さがあり、一方でプロメテウスの誇りには尊厳があります。
おそらく、岩が転がり落ちる様子を見ながら、シーシュポスは無表情であるか、あるいは唇の端に微笑みを浮かべているかもしれません。
シーシュポスの岩の哲学的な解釈
→『シーシュポスの神話』カミュの思想:シーシュポスが運ぶ岩の意味は?
シーシュポスがコリントスに住んでいた頃、近隣には盗みの神ヘルメスの子であるアウトリュコスが住んでいました。
アウトリュコスはしばしばシーシュポスの家畜を盗み出していました。茶色の牛を黒い牛に変えたり、角のあるヤギを角のないものに変えたりして、盗みを隠すのはさすがです。これは父であるヘルメスから授かった悪知恵が働いています。
シーシュポスはこの状況に困り、一計を案じます。家畜のひづめに「SS」という刻印をつけました。そしていつものようにアウトリュコスが家畜を盗みに来ると、シーシュポスは近隣の人々を集め、「その牛のひづめを見せてもらおう」とアウトリュコスに迫ります。
結局、「SS」という刻印が家畜のひづめにあることが証拠として示されますが、アウトリュコスは言い訳をし、口論が始まります。
その間に、シーシュポスはアウトリュコスの娘であるアンティクレイアの部屋に忍び込み、彼女を無理やり犯します。
そして、この行為からオデュッセウスが生まれます。彼はギリシャで最も賢い者とされ、シーシュポスとアウトリュコスの悪賢い血を受け継いでいます。
このエピソードによれば、オデュッセウスはラエルテスの息子ではなく、シーシュポスとアウトリュコスの子であり、ギリシャの第一の知恵者であることが示されます。