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ヘクトルとアンドロマケと子との別れデッカー〈ヘクトルとアンドロマケと子との別れ〉

へクトル、自分の邸へ

ヘクトルが自分の邸へ行くと、妻のアンドロマケはいません。そのころ、彼女は子供を抱かせた侍女と城壁の上で戦況を見守っていたのです。

ヘクトルは、女中に尋ねます。「アンドロマケはどこにいる。アテナの神殿に行っているのか」

「いえ、奥さまは、神殿には行っておりません。ギリシャ軍が強く、トロイア軍が苦戦しているとお聞きになると、スカイア門の上に行かれました。お子様もご一緒です」

ヘクトルの妻アンドロマケの願い

ヘクトルがスカイア門へ着くと、アンドロマケと子供を抱いた侍女も走りよってきました。ヘクトルの子の名はスカマンドリオス(スカマンドロス河による)、別名アステュアナクス(町の主)と言われていました。その子にかけるトロイアの民の期待は大きかったのです。

アンドロマケはヘクトルの手を取り、訴えます。「あなたはひどいお方、あなたのその勇気が命とりになります。ギリシャ軍が押し寄せてきて、あなたのお命をきっと奪ってしまいます。そうなれば、この子は父無し子、私は奴隷の身になります。死んだ方がましです。

私には、父も母もいません。父エエティオンはあのアキレウスに殺され、テベの街は跡形もありません。7人いた私の兄弟も、みなアキレウスに殺されました。母は他の戦利品と一緒に連れていかれましたが、莫大な身代金と引き換えに故郷に帰りました。が、既に亡くなっています。

どうか、ヘクトル、あなたはここに留まっていてください。この子を孤児に、わたしを寡婦にしないでください」

ヘクトル、トロイアの滅びる日を思う

「アンドロマケよ、ここに留まることはできぬ。父上の輝かしい名誉と自分の名誉のため、わたしは常にトロイア軍の先頭に立って戦わなければならぬ。いずれ、トロイアが滅びる日はくる。その時、父プリアモスと兄弟たちは砂塵の中にはてるであろう。

また、母ヘカベやそなたは自由の日を奪われ、泣きながらギリシャへ引かれていく。その悲しみを思うと……。ギリシャの民はこう言うであろう。

『布を織り、水汲みをしているあの奴隷が、あの勇敢なヘクトルの妻であるぞ』と。アンドロマケよ、私はそなたが引かれながら泣き叫ぶ声を聞くより前に、死んで土の下に埋められたい」

ヘクトルとアンドロマケの会話は、行く末を知っているかのようでした。

ヘクトルとアンドロマケとの別れ

ヘクトルがわが子に手を差し伸べると、子は父の青銅の甲冑姿に怖がり泣いて顔を背けます。そんなわが子を見ると、夫婦はお互いに笑みを浮かべます。ヘクトルは兜を脱ぐと、わが子を抱いて口づけします。そして、ゼウスをはじめ神々に祈って言います。

「ゼウス並びに他の神々よ、どうかこの子の武運が勇ましく、トロイアを治められますように」

わが子を涙ぐむ妻に渡したヘクトルは、言います。
「人間には、定まった運命を逃れられぬ。さあ、そなたは家へ帰り家事をしてくれ、戦いは私に任せておけばよい」

ヘクトルが兜を取り上げると、アンドロマケは涙を流しつつ何度も何度も振り返りながら家路につきました。彼女は邸に帰ると、侍女たちと一緒にヘクトルがあたかも死んだかのように嘆き悲しみました。ギリシャ軍の猛威の前には、とても生きて帰ってくるとは信じられなかったのです。

ヘクトルとパリス、戦いに戻る

このころになって、ようやく武具をつけたパリスもヘクトルの元へやってきました。
「兄上、遅くなってすまぬ」

「お前はもともと勇敢なのだから、戦場で戦う姿を見せればよいのだ。そうすれば、みな納得する。お前は、自分でダラダラして、やる気を起こさない。トロイアの人がお前の悪口を言うのを聞くたびに、私は歯がゆくてならない。みんな、お前のために大変な苦労しているのだから。
さあ、ギリシャ軍を撃退しよう。神々の前に祝い酒を供えられるように。ゼウスが許されるなら」