1話5分で読めるギリシャ神話

ギリシャ神話の神・女神・英雄のエピソードが、絵画で分かりやすい。また、ギリシャ神話はあなたの美術鑑賞に役立ちます。〈アートバイブル〉も、絵画でわかりやすい聖書です。

トロイア王妃ヘカベーの運命1

ヘカベーとポリュクセナ
メリー・ジョセフ・ブロンドル〈ヘカベーとポリュクセナ〉カウンティ美術館

アキレウスの亡霊
トロイア戦争に勝利したギリシャ勢は、トロイアの対岸トラキアの地で順風を待っていた。すると、大地が大きく揺れ、突如巨大なアキレウスの亡霊が現れた。アキレウスの顔は、怒りに満ちていた。それは、まさにあの総大将アガメムノンに立ち向かった時の顔と同じであった。

「ギリシャの軍勢よ、私のことを忘れて、立ち去ろうというのか。私の武勇への感謝は、土とともに埋められてしまったのか!そうはさせぬ。トロイアの王女ポリュクセナを生け贄として、私に捧げよ」

ポリュクセナの生け贄
今では、たくさんの子供を殺されたトロイア王妃ヘカベーの唯一のなぐさめが、この王女ポリュクセナであった。彼女はアキレウスの墓前に連れてこられた。剣を持ったアキレウスの子ネオプトレモスを見ても、彼女は嘆くことなく王女として毅然としていた。

彼女は喉と胸をはだけて言った。
「今こそ、この高貴な血を役立ててください。この喉へでも、胸でも、剣を突き立ててください。わたしは、奴隷として誰かの武将に仕える気はありません。ただ、たったひとつ母だけが気がかりです。わたしは死んでいく喜びをえられますが、母が嘆かねばならないのは、わたしの死ではなく、これからも悲しみの中で生きていくことです」

ポリュクセナ
ニコラス・プレボ〈ポリュクセナ〉オルレアン美術館

「それから、もう一つお願いがあります。わたしは自ら命を絶ちます。が、けっして処女のこの体に男の手を触れさせないでください。奴隷の願いではなく、王女としての願い。そして、遺体は母親の元に返してください」
彼女は涙をこらえていた。涙を流していたのは、聞いていた彼女の付き人や武将たちであった。儀式を司るネオプトレモスも涙を流さずにはいられなかった。彼女は突き出された剣に、自ら胸を突き刺し、くずれ落ちた。

彼女の遺体を引きとったトロイアの女たちは、指を折って数を数えた。このトロイア戦争で何人のプリアモス王家の子供が死んでいったことであろうか。ヘカベーの子だけでも、ヘクトール、パリス、デーイポボス、そしてこのポリュクセナ。カッサンドラとポリュドロスも、すぐ死ぬ運命にあった。

トロイアの王妃ヘカベーの悲嘆
かつて王妃としてトロイアに君臨するプリアモス王の妃ヘカベー。今は年齢的に女としても、奴隷としても価値がなかった。オデュッセウスの奴隷にされたのも、あの英雄へクトールの母親だったからだ。その母親は今や涙もかれ、魂が抜け落ちたポリュクセナを抱きしめて言った。

「わたしの子供をおおぜい奪いとったアキレウス。彼がパリスとアポロンの矢で倒れた時、わたしは言った『少なくとも、もうアキレウスを恐れることはないのだ』と。まさか、死んでからも、娘までも彼に殺されてしまうとは。墓に入っても、アキレウスは敵だったのだ。わたしがたくさんの子を産んだのは、アキレウスに殺させるためだったのか。

わたしは、オデュッセウスの故郷イタケーに連れて行かれる。彼の妻ペネロペーは、糸紡ぎをしている奴隷のわたしを指差して、イタケーの女たちにこう言うだろう。『この女が、あのヘクトールを生んだ、高名なプリアモス王の妃だったのだ』と...

いや、最後の望みがある。一番の末っ子ポリュドロスは、トラキア王に預けてある。耐えて、耐えて、もう少し生きねば」

ヘカベーの最後の望みポリュドロスが、彼女の魂を打ち砕くのもすぐそこに迫っていた。

トロイア王妃ヘカベーの運命2〉へ続く

同じ母親の悲嘆〈ニオベーの悲哀〉も、ぜひ読んでください。