〈エロスとプシュケー〉
プシュケーは、人間でありながら神々をも驚かせるほどの美しさを持っていました。
しかし、その美しさが女神アフロディテの嫉妬を買い、彼女の運命は大きく動き出します。
息子エロスとの禁断の恋、そして「三つの試練」。
神の怒りに抗いながらも、愛を信じて進むプシュケーの姿は、時を超えて読む人の心を打ちます。
これは、「愛」と「魂」が真に結ばれるまでの神話的ラブストーリーです。
目次
女神アフロディテの嫉妬
ある国の王様と王妃様には、3人の美しい娘がいました。中でも末娘のプシュケーの美しさは、言葉では表せないほどでした。
プシュケーの美しさを一目見ようと、たくさんの人々がこの国にやってきました。そのため、美の女神アフロディテの神殿を訪れる人も少なくなり、プシュケーは女神の嫉妬を買ってしまいました。
「あのゼウス様さえ認めた『パリスの審判』で、ヘラやアテナに勝った私の名誉は、あの人間の娘に奪われてしまうのか!」
女神はいてもたってもいられず、息子のエロスをよんで、命じました。
「あの恥知らずなプシュケーに、不細工な男を恋するように仕向けておくれ」
2つの泉から湧きでる甘い水と苦い水
女神アフロディテの庭には、2つの泉があります。1つの泉からは「甘い水」が、もう1つの泉からは「苦い水」が湧き出てきます。エロスはそれぞれの水をカメにくんで、プシュケーのところに向かいました。
エロスはプシュケーの寝室に入ると、寝ている彼女の口に苦い水を数滴たらし、その脇腹を矢の先端でつつきました。目を覚ましたプシュケーはエロスの方を見ましたが、人間の目には神であるエロスの姿は見えません。
この時、プシュケーの美しさに驚いてしまったエロス! ドギマギして、自分の矢じりで自分の胸を傷つけてしまいました。また、かぐわしい甘い水も彼女にふりかけてしまったのです。
これが、エロスとプシュケーの恋の始まりです。
プシュケーは、人間の誰とも結婚できぬ!
プシュケーの姉たちは、すでに結婚していました。
しかし、プシュケーだけは女神アフロディテの不興を買って、誰もが誉めたたえる美しさを持ちながらも、誰もが彼女にプロポーズするのを避けていました。プシュケーの両親は心配のあまり、アポロンの神託を求めました。
すると、厳しい神託が出ました。
『プシュケーは、人間の誰とも結婚できない。山の頂に連れて行き、そこに置いてきなさい。山の怪物が、彼女と結婚するであろう。』
神託は絶対です。両親は悲しみながらも、プシュケーに婚礼の衣装を着せ、山に連れていくとプシュケーを残して帰りました。
私がお前の夫です。しかし、絶対に私を見てはいけません
一人になると、プシュケーは悲嘆にくれましたが、山の美しさを見ていると、落ち着いてきました。しばらく崖の上から周りを眺めていると、ゼフィロス(西風の神)がプシュケーを持ち上げ、美しい森に連れて行きました。
その森には立派な宮殿と澄んだ泉がありました。プシュケーがその家に入っていくと、声だけの召使いが給仕を始めました。
「女王さま、ここにあるものはすべてあなたのものです。
私たちはあなたの召使いです。何なりとお申し付けください。
お好きな時に、お食事と湯浴みをなさってください」
プシュケーは湯浴みの後、おいしい夕食を食べ、その日は床につきました。すると、誰かが寝室に入ってきた気配がしました。優しい声がプシュケーに話しかけます。
「私がお前の夫です。しかし、絶対に私を見てはいけません」
その声に安心したプシュケーは、その声の主とともに幸せに暮らし始めました。
プシュケーの姉たちの悪意
森の立派な宮殿で暮らすようになったプシュケー。しばらくして、彼女は両親やふたりの姉のことを思い出しました。私がこうして、幸せに暮らしていることを両親や姉に知って欲しい......
その思いがどんどん強くなり、プシュケーは声の主人にお願いしました。
「どうか、両親やお姉さんたちに会わせてください」
エロスは、しぶしぶながらプシュケーの願いを聞き入れました。
ある日、ゼフィロスがふたりの姉を宮殿に連れてきました。ふたりはその立派な宮殿にびっくりしました。また、中に入るとその立派な家具や調度品にも感嘆しました。さらに、目に見えない召使いのもてなしにも溜め息をつきました。
「あぁ、なんで妹の方がこんな良い暮らしをしているの?」
もちろん、声には出しませんが、ふたりの嫉妬心がムラムラしてきました。
「お前のだんな様は何をしているのかい?」と、プシュケーに聞く姉たち。
「昼間は狩りに出ています、夕方には帰りますわ」と、プシュケーは答えました。
「そんなはずはなかろう」と姉たちの厳しい質問に、とうとうプシュケーは夫を見ていないことを白状してしまいました。
さらに、ふたりの姉は嫌がらせの質問をします。
「神託では、怪物がお前の夫になる、と言ったではないか」
「そうだ、大蛇に違いない。お前を太らせてから、食べてしまうのだ」
「今夜、ナイフと明かりを用意して、確かめてみた方がいい」
「大蛇だったら、その首を切っておしまい!」
愛は、疑いと一緒にはいられない!
姉たちが帰った後、プシュケーは姉たちの言葉にだんだん不安になってきました。
その夜、こっそりとランプとナイフを持って夫エロスの寝室に入りました。夫の寝息が聞こえると、プシュケーはランプを掲げて、夫の姿を見てしまったのです。
「まぁ、なんという美しさ!」
プシュケーは夫の神々しさに動揺し、ランプの熱い油を夫の肩に落としてしまいました。
愛は、疑いと一緒にはいられない!
エロスはビックリして飛び起き、言い放ちます。
「愛は、疑いと一緒にはいられない!」
そして、その美しい翼を広げると、夜空に飛んでいってしまいました。
その後、プシュケーは夫を探しましたが、見つかるはずもありませんでした。そして、ふたりの姉のところに相談に行きました。
ふたりの姉は表面上は心配そうに振る舞いましたが、心ではこう思っていました。
「これはチャンス! 今度は私が妻になれるかもしれない。そして、あの立派な宮殿に住めるかもしれない」
次の日、ふたりの姉は別々に山に登っていくと、ゼフィロスに向かって叫びました。
「私をエロス様のところに連れてって〜」
そして、崖から身を投げ出しました。
しかし、ゼフィロスが現れることはありませんでした。ふたりとも、崖から落ちて死んでしまいました。
プシュケーの3試練
「どんな、お咎めも覚悟しよう」
プシュケーは意を決して、エロスの母アフロディテの神殿に伺うことにしました。
「何でもいたします、どうかお許しを」
プシュケーは、必死にお願いしました。
「この恥知らずな娘よ、息子はまだ傷が癒えず、寝室にこもりっきりだ。誰がご主人様か、やっと分かったようだな。よし、おまえが本当に息子にふさわしいか、おまえの仕事ぶりを見てから判断しようじゃないか!」
女神アフロディテは、勝ち誇ったように言い放ちました。
プシュケーの3試練の始まりです。
はたして、プシュケーはこの3試練を乗り越えることができるでしょうか?
第1の試練(神殿の穀物倉にて)
女神アフロディテによるプシュケーへの3つの試練が始まりました。
「それぞれを選り分けて、夕方までにそれぞれの山にしておくように」
そこには、小麦、大麦、えんどう豆などが、まじって大量にありました。
プシュケーはどうしたらいいかわからず、ただぼう然としました。そんなプシュケーを見て、エロスはこっそりアリの王とその家来にその仕事をさせました。
帰ってきた女神アフロディテは言いました。
「これは、あの子(エロス)がやったことだな。あの子にまでお前の仕事をさせるのか!」
第2の試練(羊毛がり)
「あの森の水辺にいる羊の毛を取ってきて、私に羊毛の見本として持ってくること」
プシュケーは川岸に向かいました。すると、河の神が言いました。
『陽の登っている午前中は、羊たちはとても警戒心が強いので、群れに近づいてはいけません。昼時になると、羊たちは木陰に入り、また河の精が羊たちの心をなだめてくれます。その時に川を渡りなさい。そして、ヤブや木立についた羊毛を集めるがよい』
プシュケーが羊毛を持っていくと、女神アフロディテは言いました。
「これもお前一人でやったことではないな。まだ、お前を認めるわけにはいかない」
第3の試練(冥界の女王の化粧品)
プシュケー、冥界へ
「冥界の女王ペルセポネから、肌のツヤが出る化粧品をもらってくること」
ここに至って、プシュケーはついに自分の死を覚悟しました。生きたまま冥界に入ることはできないからです。プシュケーは高い塔から身を投げ、死んで冥界へ行こうと決心しました。そして塔を登っていくと、声が聞こえてきました。
『哀れな不幸な娘よ、なぜそのような生涯の閉じ方をするのか?今までに奇跡的に助けられたことを忘れてはならない!』
それから、その声は冥界への道、冥界の番犬ケルベロスの脇を通り抜ける方法、冥界の渡し守カロンの説得の仕方まで教えてくれました。
最後に、こう忠告しました。「だが、女神の美の化粧品の箱を決して開けてはならないぞ!」
地獄の眠りが、プシュケーを包む
こうして、プシュケーは無事に冥界へ行き、女王から化粧品をもらって帰ってくることができました。危険な試練が終わったと思うと、彼女はほっとしました。心にスキが生まれた瞬間です。
「なぜ、試練を終えた私が、ほんの少しだけ化粧品をもらってはいけないのだろう? 愛する夫に化粧をして私を見てもらいたい!」
あの〈パンドラ〉のように、プシュケーは化粧品の箱を開けてしまったのでした。
すると、〈地獄の眠り〉がプシュケーを襲い、彼女は死んだように倒れてしまいました。これこそ、女神アフロディテが仕組んだ罠でした。それを察知したエロスは、プシュケーの元に飛んで行き、〈地獄の眠り〉を箱に戻しました。
「またしても、お前は好奇心から身を滅ぼすところだった! だが、母の試練を全うするがよい。あとは私に任せなさい」
エロスとプシュケーの結婚
エロスは、大神ゼウスに二人の結婚をお願いに行きました。
ゼウスは女神アフロディテを説き伏せます。とうとう、女神も「3つの試練」に対するプシュケーのひたむきさに、許しを与えることにしました。
そして、結婚式の当日。
ヘルメスがエロスとプシュケーをゼウスの前に導いていくと、ゼウスはプシュケーにアンブロシアを飲ませ、彼女を不死にし、神々の仲間にしました。こうして、ふたりはめでたく永遠の夫婦となったのです。
※プシュケーとは「魂」を意味します。彼女はエロス(愛)との間に「喜び」と「若さ」の双子をもうけることになります。また、サナギから蝶が生まれ、体から魂が抜け出すことから、プシュケーは「蝶」にもたとえられます。そこから、絵画では彼女のそばに「蝶」が描かれるようになったのです。
〈エロスとプシュケーの結婚〉
まとめ:エロスとプシュケーの愛の試練
アフロディテの試練を乗り越え、ついに神々の仲間となったプシュケー。
「魂(プシュケー)」と「愛(エロス)」が結ばれる物語は、古代ギリシャから今へと語り継がれています。
人の心にはいつも、疑いと希望、嫉妬と赦しが共にあります。
けれど、どんな苦しみの中でも愛を信じ続けたプシュケーのように、真の愛は必ず魂を高め、永遠の光へと導いてくれる——
この神話は、愛の本質とは何か”を静かに問いかける永遠の物語です。
