〈蓮の花〉
「ヘラクレスの妻アルクメネの侍女ガランティス、イタチになる」は、実はヘラクレスの母アルクメネが孫ヒュロスの嫁イオレーが妊娠していたので、自分のお産の思い出を語ったものでした。
すると今度は、イオレーが自分の身の上話をはじめました。
「でも、お母さま。そのイタチに変身した娘は私たちの親戚縁者ではありませんわ。私のお姉さまの不思議な話をしたら、どうお思いになるでしょう。思い出すと涙が出てきて、うまく話せるかどうか分かりません...」
アポロン神に純潔を奪われたドリュオぺー
イオレーには腹ちがいの姉ドリュオペーがいました。オイカリアでは一番の美人との評判だったドリュオペー。アポロン神により純潔を失っていました。
それでも、ドリュオペーはカリュドンの王アンドライモンに妻に迎えられ、二人は幸せに暮らしていました。
ある日、イオレーと1才になった子供を抱いたドリュオペーは湖の岸辺にやってきました。その岸辺には、蓮が花を咲かせています。ドリュオペーは、この蓮の花を子供に与えようとして、一輪摘みました。
イオレーも花を摘もうとしたら、
「えっ!血が?」花から血のしずくが落ち、長くのびた茎がブルブルふるえているのです。
実は、ローティスという妖精がみだらなプリアポスの欲望から逃れるために、この蓮(ロータス)に変身していたのです。ドリュオペーはそれに気づかず、花を摘んでしまったのでした。
妖精ローティスの呪い
血のしずくを見て、ドリュオペーは引き返そうとしました。しかし、足が動きません。根が生えてしまっていたのです。引き抜こうとしますが、動くのは上半身だけ。しかも、下の方から緑の茎がその上半身をおおってきます。
ドリュオペーは驚いて、手で髪の毛をつかもうとしました。しかし、その手はもう大きな葉になっていました。彼女の子供は乳を吸おうとしましたが、茎になってしまった乳房からは乳は出ません。
イオレーは姉の体を抱きしめ、自分もいっしょに蓮になりたいと思いました。そして、大声をあげて、ドリュオペーの夫アンドライモンと父エウリュトスを呼びます。やってきた二人は、ドリュオペーの子供が蓮の茎にしがみついているのを見て驚きました。
イオレーは、蓮を指さしました。もうかろうじて、ドリュオペーの顔だけが茎の上に残っているだけでした。彼女は涙で目をうるませ、涙は水の玉となって落ちていきます。
「花は妖精が姿を変えたもの。だから摘まないで」
ドリュオペーは、最後に語ります。
「神にかけて誓います。私はこのような罰を受ける罪は、けっして犯していません。しかも、話すことも、もうすぐできなくなります。せめて、この子だけは乳母にあずけてください。そして、ここでこの子に乳をあげてください。
子供が大きくなったら教えてあげてください。『この蓮の花の中に、あなたのお母さんが入っているの』と。湖に近づいたら、『花はみんな妖精が姿を変えたもの。だからもう花を摘まないで!』と。
さよなら、あなた。さよなら、イオレー。そして、お父さまもさようなら。わたしの坊やを抱き上げてください。まだ、ぬくもりがあるうちに、口づけをさせてください」
夫アンドライモンは、子供を抱き上げると差し上げました。その口づけがかなうと、その顔は花に変わってしまいました。
イオレーの驚くべき不思議な話を聞くと、アルクメネは涙を流しながらも、イオレーの涙を拭ってやるのでした。
〈蓮華草は確かに蓮の花と似ていますね〉
一般的にドリュオペーは蓮華草になったという話が、多くあります。
しかし、この話の元のオウィディウス『変身物語』では、蓮(の木)と出ています。どうして、あの小さな花の蓮華草になったのかは不明です。蓮の花に似ていることから、「蓮華草」という名が付いたということですが。
また、話に出てくるローティス「Lotus」の名も、レンゲソウの英訳「Astragalus sinicus」とは違います。
英名「lotus」はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン Nymphaea lotus」とのことです。