カラバッジオ〈ナルキッソス〉
「おしゃべり」エコー、ヘラの罰を受ける
エコーは狩の女神アルテミスの美しいニンフのひとり。彼女には「おしゃべり」という一つの欠点がありました。
ある日、浮気にうつつをぬかす夫ゼウスを探しに妃ヘラが、ニンフたちのところにやってきました。
エコーは、ヘラの質問を自分だけが答えて、他のニンフたちをヘラの質問から解放していました。それに気付いたヘラはエコーに怒り、罰をあたえました。
「おしゃべりな舌はもう使えなくしてやる。もはや、おまえから最初に口をきくことはかなわぬ。だが、応えることだけは許してやろう」
エコーとナルキッソス
ある日、エコーは、美しいナルキッソスという青年を見かけました。彼が狩りをして、泉で休んでいたのです。
彼に一目惚れをしたエコー、悲しいかな、ヘラの罰から自分から話しかけることができません。どんなにか、もどかしく辛い思いをしたことでしょう。
そんなナルキッソスは仲間からはぐれてしまい、大声で叫びました。
「誰かいるかい、この近くに(Here)?」
「ええ、いるわ(Here)」
ナルキッソスはあたりを見わたしましたが、誰も見えません。
「来ておくれ(Come)」
「いま行くわ(Come)」
エコーはナルキッソスの前に行きたいのを、必死で押さえていました。
「どうして、姿を現さない?一緒になろう」
「一緒になろう」
カバネル〈エコー〉
ナルキッソスの残酷な性格
とうとう、エコーは言葉を繰り返しながら姿をあらわすと、ナルキッソスの首にしがみつこうとしました。すると、青年は残酷にもこう言い放ちました。
「手を離してくれ! おまえなんかに抱かれるくらいなら、死んだ方がましさ!」
「抱かれるくらいなら......」
彼女の言葉もむなしく、ナルキッソスはその場を去っていきました。
その後、エコーはナルキッソスの仕打ちから身も心もやつれ、ついに声だけの存在になってしまったのです。そして悲しみから、山や林で呼ぶものには、誰にも返事をすることにしました。
一方、今までナルキッソスは多くのニンフにもエコーと同じ仕打ちをしていました。その中の一人が、神に祈りを捧げました。
「どうか、神様、ナルキッソスにも、身を焦がすかなわぬ恋をさせてください」
その祈りを、復讐の女神ネメシスが聞き入れました。
ナルキッソスの水面に映る美しい青年への恋
山の奥に水の澄んだ泉があり、表面は銀盤のように輝いています。ナルキッソスは狩りと暑さとから、この泉にやってきました。水を飲もうとして屈み込むと、
「アッ!」
と思い、動けなくなりました。
水の中に、泉の精かと思うほどの美しい青年がいたからです。アポロンのような美しい巻き毛、光り輝く目、ふっくらとした頬、ぷるんとした唇...
接吻しようと唇を近づけ、抱こうとして両腕を水の中にいれると、すかさず相手は消えてしまいます。
が、しばらく見ているとまた戻ってきます。ナルキッソスは、その場を離れることができなくなりました。
「なぜ、君は僕を避ける? 微笑みかけると微笑み、手を伸ばすと手を伸ばすのに、なぜ、僕から逃げる?」
ナルキッソスの目から涙がこぼれると、落ちた涙の波紋で相手はまた消えそうになりました。
「待っておくれ、お願いだ。触れることがかなわぬなら、せめて見つめることだけは許してほしい」
こうして、ナルキッソスは寝食も忘れやつれ果てていきました。エコーを魅惑したあの美しさは失われました。
「ああ、あぁ!」
と、ナルキッソスの吐息がもれると、今でもエコーだけが
「ああ、あぁ!」
と、応えます。
ナルキッソスに死が訪れると、その体は消えてしまいました。
彼がいた泉のほとりには、ひっそりとスイセンの花が一輪咲いていました。