ドローリング〈アキレウスの怒り〉イリアス第一歌
アキレウスの返答
「アガメムノンの二枚舌、オデュッセウスよ、心ない言葉に私は動かされない。命を懸けて戦っても、戦わなくても同じ報酬。もはや、うんざりだ。アガメムノンの贈り物の10倍、いや20倍でも、ましてやアガメムノンの娘もいらない。
そもそもこの戦いは何のためか。メネラオスの妻ヘレネのためだ。誰にだって大切な妻はいるのに、他人の妻のために戦っている。
私は、プリセイスを妻と同じように愛している。それを奪ったからには、私の気持ちを贈り物で試そうとしても無駄なことだ。船団をヘクトルに焼き払われないよう、オデュッセウスよ、アガメムノンに考えさせればいい。
私は明朝ここを立ってプティエに帰る。ポイニクス爺よ、一緒に来たければ今夜はここに泊まればいい」
アキレウスの傅役ポイニクスの説得
アキレウスは、今までの怒りを語り続けました。オデュッセウスをはじめ、一同は度肝を抜かれ黙るしかありません。
しばらくして、アキレウスの傅役(もりやく)ポイニクスが口を開きます。
「大切な若殿、あなたが帰るのであれば、わしはここに残る意味はありません。父上ペレウス殿から若きあなたを指導してくれと頼まれて来たのだから。
わしは故郷を追われてプティエにやってきた時、ペレウス殿に自分の子でもあるかのように愛され、財産も持てるようにしてもらった。小さい頃から若殿はわしと一緒に食事をし、よそに出かける時にはわしと一緒でなければ嫌だというほどであった。もはや、若殿は自分の子も同然です」
ポイニクスは続けます。
「アキレウスよ、どうか激しい怒りを抑えてくれ。非情な心を持ってはならぬ。神々ですら、折れてくださることがある。アガメムノンだって怒りを静めて、即刻プリセイスを返却し、莫大な贈り物を約束し、あなたに親しい人を選んで嘆願に来させたのだ。友人たちの労を無にしてはなりません」
「ポイニクスよ、アガメムノンに忠義立てして、私の心を乱すのは止めてもらいたい。そなたを大切に思っている。私の王権の半分をやるから、私と一緒に国を治めてはどうか。今日はここで寝て、明日国に帰るかどうか決めよう。私の返答は、オデュッセウスたちがアガメムノンに伝えてくれよう」
説得に失敗したオデュッセウスとアイアス
すると、テラモンの子アイアスが口を開きました。
「オデュッセウスよ、帰ろう。たかが一人の娘のために、アキレウスは心を頑なにしてしまった。アキレウスよ、我らはギリシャ軍の代表としてきている。また、われらはそなたに最も誠実で親しい友人であると自負している」
「アイアスよ、あの時のことを思い出すたびに、怒りに胸が膨れ上がってくる。アガメムノンがみなの面前で、まるで卑しい流れ者を扱うように、私に無礼極まる仕打ちをした。さあ、帰って、事の次第を報告してくれ」
オデュッセウスとアイアスは帰って、アガメムノンに事の次第を告げました。
一同、呆然として静まりかえり、やがてディオメデスが言います。
「アキレウスには、もう好きなようにさせよう。いずれ神が戦いに加えてくれるかもしれない。その前に夕食をたらふく食べ、明日の戦いに備えよう。アガメムノン王よ、あなたには自ら先陣に立って戦ってもらいたい」
ギリシャの並み居る武将は、みなディオメデスの言葉に従い、各自陣屋に帰って行きました。