【オリンピックメダル】勝利女神ニーケー
(更新日:2021.04.26)
勝利の女神ニーケーは、ギリシャ神話には詳しく出てきません。ヘシオドスの『神統記』に1〜2ページ記されているだけです。
しかし、翼を持った勝利の女神ニーケーは、有名で多くの人気を博しています。
2020東京オリンピックのメダルにも、ニーケーは描かれています。また、ナイキとは、Nikeでこの女神の名前そのままです。
〈軍神アテーナの手に乗る勝利の女神ニーケー〉
勝利の女神ニーケーは、黄泉の国の河ステュクスの子
オケアノス(大洋)の娘ステュクスは、パッラス(パラース)に抱かれて、ゼロス(妬み心)、くるぶし麗しいニーケー(勝利)、クラトス(権力)とビア(暴力)を生みました。
クロノス率いるティーターン神族との戦い(ティタノマキア)の時、稲妻を放つオリュンポスの主ゼウスが、全ての神々を呼び集めて、こう言いました。
「自分に味方して
クロノスとティーターン神族と戦う神からは、
決して特権を奪わぬし、かつて神々の間で得ていた名誉を、
おのおの保持するであろう。
クロノスのために名誉と特権を奪われた者には、
当然のことながら、もとの名誉と特権に復帰させよう」
この時、真っ先にオリュンポスに駆けつけたのがニーケーの母ステュクス。父オケアノスの忠告に従い、子供を連れてやってきました。
〈軍神アテーナの手に乗る勝利の女神ニーケー〉
ティタノマキア後、ステュクスは誓約の証人となる。
ティーターン神族との戦いに勝利したゼウスはステュクスを敬い、過分の褒美を与えました。すなわち、彼女を神々の誓約の大いなる証人となし、そのニーケーはじめ子供には、いつまでも側近く住むことを許したのです。
また、ゼウスは、全ての者に約束どおりのことを果たしました。
また、ペルシャ戦争の勝利は、勝利の女神ニーケーの人気を大きくしました。
ニーケーは、軍神の女神アテーナとともに表現されています。アテーナの手の上に乗っているのがニーケーです。翼を持った若い女神として表現されています。ギリシャ各地に、神殿をもっていました。
オリュムピア出土のパイオーニオス作およびサモトラケ島出土の有名な像(下の写真)が残っています。このサモトラケ島のニーケーは、写真で見たこともある人は多いと思います。
2020東京オリンピックのメダルにも、ニーケー像が
夏季オリンピックメダルには、この勝利の女神ニーケーが使われます。次の規定があります。
【表面】パナシナイコスタジアムに立っているニーケーと大会の正式名称
【裏面】競技の名称と大会エンブレム
【パナシナイコスタジアム】
ギリシャのアテネにある競技場で、近代オリンピックが初めて開かれた場所。古代オリンピックにならい、トラック(1周330m)の直線が極端に長く、コーナーはヘアピンカーブ。総大理石造りのスタンドは4〜5万人収容。
また、あのスポーツメーカーの「ナイキ」ですが、Nikeとはニーケーの名前そのままに使っています。