〈パリスとメネラオス〉
「誰でも良い、私と一騎打ちしてみよ」
ギリシャ軍とトロイア軍は対峙し、今にも戦いの火蓋が切られようとしていました。その中で、その姿は神にもまごうパリスがトロイア軍の前に出て、ギリシャ軍を挑発しました。
「これぞ、我が妻ヘレネを奪った姦夫を懲らしめる好機」
と狂喜したメネラオスは、戦車から身を躍らせ地上に降り立ちました。
メネラオスを見ただけで、パリスは言葉とは相反し肝を冷やすと、死の恐怖から自陣に引っ込んでしまいました。
パリスの兄であるヘクトルは
「このろくでなしめが。姿形は誰にも引けを取らないが、その正体はただの女たらし。お前のような男は生まれてこなければ良かったのだ。メネラオスの前に踏みとどまって、戦う勇気がお前にはないのか!」
パリスの心と秋の空
兄ヘクトルに女たらしと言われると、パリスはそれに答えて、
「兄者のお叱りはごもっとも。兄者がどうしても『メネラオスと一戦交えよ』というなら、ヘレネと全財産をかけて戦わせてくれ。勝敗がついたら、両軍誓約して和平を結べば良いであろう」
それに喜んだヘクトルが、ギリシャ軍にその旨伝えました。
それに答えて、メネラオスが
「この戦争は、元をただせば、わしとパリスとの争いから始まった。それが、国同士の争いまでに発展した。わしは、それが辛い。だから、わしとパリスの決着がついたら、もはや両軍とも戦いは止めてもらいたい。
さあ、神々に生贄を捧げよう。そして、トロイア王プリアモスを呼んで誓約してもらいたい。おぬしら二人はわしの館に来て、ヘレネを奪ったのであるから、信じることはできない」
ヘレネ、スカイア門の上に現れる
このころ、大きな布地に戦いのありさまを織っていたヘレネのもとに、虹の神イリスが訪れました。
「ヘレネ、こっちに来てご覧なさい。ギリシャとトロイア両軍が対峙したまま、これからはじまるパリスとメネラオスの決闘を見守っています」
ヘレネは自分のことが原因だと分かり、涙をこぼしました。それでも、老王プリアモスや長老たちがいるスカイア門の上にやってきました。王とともに観戦していた長老たちは、あらためてヘレネの美しさを認め、ひそひそと語り合いました。
「これほどの美しい女ならば、両軍9年間戦っても仕方がないことだ。しかし、ヘレネは元の夫に返した方がよかろう。われらにも、子孫にも禍いの種となってはならぬからな」
老王プリアモス、ギリシャの武将の名をヘレネに問う
老王は、ヘレネを呼び寄せると、彼女に問いました。
「可愛い娘よ、ギリシャ軍の中でひときわ目立つあの偉丈夫は誰か」
「ギリシャの総大将アガメムノンです。わたしの元夫メネラオスの兄です」
「かつて見たこともない、これほどの軍勢の総大将とは、よほど神に愛されているのであろう」
「あそこで、軍の中を見回っているあの武将は誰か」
「オデュッセウスです。その智略は神にも劣らぬと言われております」
王の賢明な相談役アンテノルは、付け加えました。
「かつて、オデュッセウスとメネラオスがヘレネ様のことでトロイアにやってきて、わしの屋敷に招いた時のことです。体格ではメネラオスの方が上でありました。しかし、座っている時はオデュッセウスの方がメネラオスより大きく見えました。そして、彼が立って話し出すと、天下広しといえど、彼に比肩する弁士はおるまいと思われました」
最後に、老王はアイアスの姿を見て問いました。
「もう一人、あそこに見える偉丈夫は誰か」
「あれこそ、ギリシャ軍の砦を守ると言われているアイアスでございます。その横にもクレタ島のイドメネウスがおります。でも、どうしたことでしょう。わたしの兄弟で、馬を慣らすカストルと拳法の名手ポリュデウケスがおりません」
それもそのはず、この二人はすでに故郷で死んでいたのです。
一騎打ちの誓約のために、伝令使がプリアモス王を呼びにやってきました。馬車が用意され、王が乗るとスカイア門から出発しました。そばには、賢明な相談役アンテノルが付き添っています。