〈イメージ:スズカケの樹と大蛇〉
オデュッセウスの鼓舞と口汚いテルシテス
「おぬしらは、アガメムノンの真意がよく分かっていないのだ。彼は、おぬしらの心意気を試しておられたのだ。そんなことも分からないでは、後で厳しい罰を受けることになろう」
オデュッセウスが激励して陣中を回ると、今度はギリシャ軍が怒涛のごとく集会場に戻ってきました。
すると、いつも口汚くののしるテルシテスがアガメムノンに金切り声をあげました。アガメムノンやオデュッセウスにとっては、最も憎い男です。
「アガメムノンよ、いったい何がまだ不足だと言うのか。城を落とせば、真っ先に金銀や女を自分の戦利品として選び、おぬしの陣屋には溢れているではないか。その上、アキレウスの女まで自分のものにした。こんな貪欲なやつは残して、我らは故国に帰ろうではないか」
「テルシテスよ、王侯に悪口雑言をはき、兵卒に帰国を進めるなどお前が考えることではない。これは脅しではないぞ、今後ふたたびそのような振る舞いをしたら、したたかに打ちすえ、集会の場から追い払ってやる」
オデュッセウスはこう言うと、王笏でテルシテスの背と肩を打ちすえました。テルシテスは、涙を流し座りこむしかありませんでした。
母鳥1羽と8羽の雛を飲む大蛇
オデュッセウスは語りました。アテナも伝令使として、そばに立っています。
「トロイアの地にきて、はや9年がたった。国に帰りたいほどの苦労ではある。しかし、ここはあの預言者カルカスの占いが真かどうか確かめてくれ。
トロイアに出発する前にギリシャの港アウリスに集結した時のことだ。
根元から清らかな泉が流れている大きなスズカケの樹があった。近くの祭壇で神への捧げものをしていた時、背は血のごとく赤く、見るも不気味な一匹の大蛇が祭壇の下から躍り出てきた。大蛇の目的は、スズカケの樹にいる8羽の雛とその母鳥1羽。その9羽を飲み込んだ瞬間、大蛇の姿は石に変わった。
われらはあっけにとられていたが、預言者カルカスは即座に神意を察し『これはゼウスが示された偉大な前兆である。9年の戦いの後、10年目にトロイアが陥落するだろう』と。
彼の言った通りになろうとしているのだ。だから、しばし踏みとどまってくれ」
老将ネストルも付け加えました。
「なんたることか、情けない。ヘレネを取り戻すという約束と誓いはどうなるのだ。アガメムノンよ、揺るぎない指揮をとってもらいたい。全軍を部族別、氏族別に分けられるがよい。さすれば、お互い部族同士、氏族同士で助け合い戦える」
アガメムノンは我が意を得たりと、
「ご老体よ、これほどの相談役が10人もいてくれたらと思う。さあ、たらふく食って戦う準備してくれ。戦いの場を離れようとする者は、野良犬や野鳥の餌食になると観念せよ」
そう言うと、見事な五歳の牡牛をゼウスの生贄に捧げました。
ゼウスは生贄を受け取りましたが、ギリシャ軍にはさらに労苦を増そうとしていました。こうして、ギリシャ軍とトロイア軍は、合戦を前に堂々たる陣容で対峙することになったのです。