〈ヘラ、ゼウス、牛のイーオー〉
牝牛に変身させられたイーオー
イナコスだけは、河の神の集いに現れません。娘イーオーが消息を絶って、生きているか死んでいるか分からなかったからです。
数ヶ月前、水の精イーオーが河で水浴びをした後のこと。
「これは美しい娘さん、暑いのであの森の木陰で休んだらどうだろう。ひとりで森に入るのが怖いのなら、この私じつは神なのだがご一緒しよう。神といっても、あのオリュンポスですべての神を統べる神なのだが...」
大神ゼウスと分かって、イーオーは逃げ出しました。ゼウスは黒雲をおこし逃げられないようにして、娘をとらえ犯しました。
天上から地上を見ていたゼウスの妃ヘラ。天上に夫がいない、昼なのに一部だけが黒雲に被われている。すぐに、女神はピンときました。また、浮気の虫が出てきたのに違いないと。
すぐにヘラは地上へ舞い降り、黒雲を追い払いました。ゼウスもヘラが来ることは分かっていたので、イーオーを美しい白い牝牛に変えました。
ヘラはゼウスに尋ねました。「これは美しい牝牛ですね、どこからきたのでしょうか、誰の所有物でしょうか?」
「大地から湧き出るように生まれた珍しい牝牛なのだ」
と、ゼウス が答えると、「では、私にくださいませ」。ゼウスは、拒むことはできませんでした。
アルゴスの見張り
ヘラは牝牛を手に入れたのは良かったのですが、夫がいつまたこの牝牛、いや娘のところに来るのは明らか。
そこで、全身に100の目を持つ普見者(パノプテース)アルゴスに監視を命じました。100の目は一度に二つの目しか眠らないので、見張りの任務にはピッタリです。
アルゴスは、牝牛イーオーに草を食べることも川の水を飲むことも許しました。しかし、夜になると、首を鎖でしばり、一本のオリーブの木に繋いでしまいました。
〈イーオーの姉妹と父親〉
イーオーと父イナコスの再会
イナコスは牝牛がイーオーとは知らずに、優しく草を差し出し食べさせてくれました。また、彼女の姉妹もイーオーの体をなでてくれました。
しかし、父も姉妹も、この美しい白い牝牛がイーオーだとは知りません。イーオーも話そうにも、ただ「モォー」という叫び声しか出せません。困ったすえに、彼女は脚で川辺の砂に「イーオーです。ゼウス様に」と書きました。
「あぁ、なんということか!ゼウスに変身させられていたのか!お前がイーオーだったのか!」。父イナコスは嘆きました。その後、しばらく親子姉妹の話は尽きることはありません。
イーオーの救出
そうこうするうちに夕方になると、非常にもアルゴスはイーオーを山に連れて帰りました。さすがにゼウスもこの光景をみて、哀れに思いました。ヘラに気づかれないようヘルメスを呼び出すと、イーオーの救出を命じたのです。
ヘルメスは地上に下りると、羊飼いをよそおい、アルゴスに近づきました。長話をしたり、得意の葦笛を吹いたりして、怪物を眠らせようとしたのです。
しかし、どうやってもアルゴスの100の目は、すべて一緒に眠ることはありません。あげくのはてには「その草の笛は珍しいね。見たこともない、どうしたのかね」と目を輝かせ、たずねてくるしまつ。
葦の笛シューリンクス
〈ヘルメスとアルゴスとイーオー〉
しかたなく、ヘルメスは話しはじめました。
「シューリンクスというニンフがいてね。狩の女神アルテミスと同じように男嫌いでね、女神にも似ていて美しくもあった。
ある日、獣神パーンに言いよられて、逃げて、とうとう川にまで来てしまった。もう逃げられないと思った彼女はね、どうしたと思う?
わが身を変えてほしいと、仲間のニンフたちに願ったんだ。もちろん、ニンフたちはその願いをききいれた。パーンが彼女を抱きしめるとね、なんと葦に変わってたんだよ。
パーンはがっかりしてね、ため息をついた。すると、その息が葦の茎の空洞をふるわせ、美しい調べを奏でたんだ。それで、パーンは葦の茎の長いのや短いのを並べて笛を作った。それで、この葦の笛は〈シューリンクス〉と呼ばれるようになったってわけさ...」
アルゴスの殺戮者と孔雀
ヘルメスは、ふとアルゴスを見ました。すると、とうとう100の目はすべて閉じられていたのです。すかさず、彼は剣でその首をたたき落としました。こうして、ヘルメスは「アルゲイポンテース(アルゴスの殺戮者)」といわれるようになりました。
女神ヘラは血の中からアルゴスの100の目を拾い上げ、お気に入りの孔雀の羽に飾りつけました。
また、ヘラの怒りはゼウスではなく、イーオーに向けられました。狂乱の女神(アブ)を差し向け、彼女の目と心を狂わせたのです。イーオーは、彷徨います。
途中、スキュティアの岩山に縛り付けられたプロメテウスにも出会いました。プロメテウスはイーオーの今後のことを教え、イーオーの13代目の末裔ヘラクレスが自分を解放することも言いました。イーオーは、最後にナイル川のほとりにたどり着きました。
ゼウスは浮気はもうしないとヘラに誓い、イーオーを許してくれるよう頼みました。イーオーは水の精にもどると、この地エジプトでゼウスの子エパポスを生み落としました。
また、豊穣の女神デメテルの像を建てたことから、エジプト人はデメテルとイーオーをイシスと呼ぶようになったとも言われています。
ルーベンス〈ヘラとアルゴス〉