〈ヘクトルとアンドロメダの別れ〉
アポロンに騙されるアキレウス
アキレウスはアゲノル(アポロン)を、クサントス河まで追いつめました。
「アキレウスよ、なぜ人間の分際で神を追う。トロイア勢は、すでに城門の中に逃げおうせたぞ」
「遠矢の神アポロンよ、騙しましたな。私をこんなところまで誘い出すとは、なんと理不尽なこと。私はもうすぐ死ぬ運命。仕返しはされないと思われましたか?」
そう言うと、アキレウスはトロイアの城門へと疾駆しました。
ヘクトル、両親の願いに応えず
迫ってくるアキレウスを見たトロイア王プリアモスは、城門の中に入らぬヘクトルに言葉をかけます。
「ヘクトルよ、頼むからアキレウスと戦うのはやめてくれ。彼は酷薄非道の男。息子たちはすでに何人も殺された。ラオトエが生んだ二人の息子リュカオンとポリュドロスが、まだ帰ってこぬ。すでに、死んでいることだろう。その上、トロイアの希望であるヘクトルよ、お前まで討たれることになれば、トロイアは無残な運命を迎えるだろう」
ヘクトルは、父の声にも城門の中に入ろうとしませんでした。今度は母ヘカベが胸をはだけ、乳房を出して訴えます。
「わが子ヘクトルよ、そなたの口にあてがったこの乳房を忘れてしまったのか。どうか、母を哀れんでおくれ。そなたが討たれれば、母もそなたの妻アンドロマケもそなたを床に寝かして弔うこともできまい。アキレウスはそれほど無情な男だから」
ヘクトルは、母の声にも動きません。
ヘクトルの迷いと逃走
『困ったことになった。アキレウスが戦いに参戦した時、プリュダマスが私に意見した。あの時引き上げていればよかった。
だが、私は耳をかさなかった。そのため、多くのトロイア兵を失ってしまった。今や、トロイアの人々に会わす顔もない。もはや、私はアキレウスと一騎打ちするしかない。
だが、パリスが奪ってきたヘレネとメネラオスの財産を返し、さらにトロイアの財産を半分を差し出すと誓約したらどうだろう......。この後におよんで、私は何を考えているのだ。一刻も早くアキレウスと刀を交わそう。どちらが勝つかは、ゼウスがどう判断なさるかだ』
アキレウスは軍神アレスのごとく疾駆してきました。全身の武具は日輪のように輝いています。それを見たヘクトルは勇気も消え失せ、思わず逃げ出していました。アキレウスは追いかけます。
そんな二人を見下ろしていたゼウスは、本音と裏腹のことをつぶやきました。
「はて、どうしたものか。追い回されているヘクトルが哀れでならぬ」
アテナが苛立ち答えます。
「もう死ぬ運命が決まっているに人間に対して、なにを仰せられます。死から解放してあげたいなら、お好きなように」
「娘よ、気にせず、そなたの好きにするがよい」
ゼウスがけしかけると、アテナはオリュンポスの山を急いで降りていきました。
それを聞いたアポロンは「もはや、これまで」と、ヘクトルの足を軽くしてやっていたのを止め、ヘクトルから離れました。