クラウス〈ポセイドンとカイニス〉
エラトスの美しい娘カイニス
トロイア戦争の初期、アキレウスがポセイドンの子、槍や剣ではけっして死なないキュクノスを倒した後、老将ネストルは、陣屋で語りはじめた。
「エラトスの娘カイニスは、美貌のほまれも高く、テッサリアの美しい乙女であった。多くの求婚者が彼女を妻にと願ったが、誰もその願いはかなわなかった。アキレウスよ、そなたの父ペレウスも、そなたの母テティスと婚約していなければ、求婚しただろう。
ともかく、カイニスは誰とも結婚しようとはしなかったのだ。
ある日のことだ、彼女は誰もいない海岸を歩いていた。
そこへ、海神ポセイドンが現れて、彼女を強引に手込めにしたのだ。合意の上とも言われているがな。
ポセイドンはこの情事に満足すると、彼女にこう言った。
『おまえの願いは、すべて叶えよう。なんなりと言いなさい』
カイニスは、こう答えたのだ。
『こんなひどい目にあったので、せつに願うことがあります。二度とこんな目にあわないよう、女でなくしてください』
ポセイドンは、その願いを聞きいれた。さらに、どんな刃物によっても死なない体にしてやったということだ。
男になったカイニスは、〈カイネウス〉と名前を改めた」
ラピテース族とケンタウロス族との戦い
ジョルダーノ〈ラピテース族とケンタウロス族との戦い〉
老将ネストルは、さらに語った。
「ラピテース族の王、テセウスの友ペイリトオスとヒッポダメイアの結婚式の時のことだ。ケンタウロス族が酔って暴れ出した。けしからんことに、花嫁ヒッポダメイアはじめ、そこにいた女性たちに欲情したのだ。
大混乱になってな、ラピテース族とケンタウロス族の争いになった。その時のカイネウスの活躍は凄まじく、多くのケンタウロス族を倒した。
そんなカイネウスの前に、ケンタウロス族ラトレウスが現れ言い放った。
『やい、カイニス! おれ様からみれば、おまえは女にすぎない。家に帰って食事でも、着物でも作っているがいい。争いごとは男の仕事だ。わかったか!』
ラトレウスは、カイネウスに槍や剣で挑んだが、反対にわき腹をえぐられてしまった。
それを見ていた他のケンタウロス族が大勢、カイネウスを囲み、槍や剣を突き出した。が、カイネウスを傷つけることはできなかった。
『たった一人に負けるとは、なんということだ。俺たちは女神ヘラとイクシオンの子だというのに、これでは大いなる恥辱! もはや槍や剣がダメなら、大木で押しつぶしてしまおう』
そう言うと、みんながみんなオトリュス山の木々をぜんぶ引っこ抜いて、カイネウスに投げはじめた」
カイネウスの最後
「さすがのカイネウスもな、少しの木の時はなんとか凌いでいたが、雨あられと降ってくる大量の木々に埋まってしまった。もはや、息もできなくなるほどだ。
結局、カイネウスがどうなったのかは分からなかった。そのまま奈落に落ちたのだという説もあるが、予言者モプソスは否定した。『わしは木々の山の中から、金色の鳥が飛び出すのを見た』と。
実を言うとな、わし(ネストル)もこの金の鳥を見たのだ。あとにも先にもこの時だけだったがな」
(オウィディウス『変身物語』)