ヴィールツ〈パトロクロスの遺体をめぐっての攻防〉
グラウコス、ヘクトルに訴える
グラウコスは深い悲しみの中、サルペドンの胸から槍を引き抜きました。その後、テウクロスに射られた腕の痛む傷を抑え、アポロンに祈ります。
「アポロンよ、どうかこの傷を癒し、戦友の亡骸を守って戦えるよう、力をお授けください」
アポロンはその願いを聞き入れました。
「サルペドンの亡骸を守って戦え」
痛みが消え、気力を回復したグラウコスは、リュキエ勢の隊長たちに激励を送ります。
その後、グラウコスはヘクトルの所にいき、訴えます。
「ヘクトルよ、我ら援軍のことを忘れているようだな。我らはトロイアのために戦っている。そなたはそんな我らを守ろうともせぬ。アキレウスの槍にサルペドンは死んだ。ミュルミドネス勢が武具を剥ぎ取り、遺体を辱めるのを許してはならぬ」
ヘクトルならびにトロイア勢は悲嘆にくれました。サルペドンは異国の者ですが、ずっとトロイアを守ってきた勇士だからです。ヘクトルが先頭に立ち、サルペドンの遺体のところに向かいます。
サルペドンの遺体をめぐる攻防
こうして、ギリシャ勢&ミュルミドネス勢 vs トロイア軍&リュキエ勢の激しい戦いが始まりました。
ギリシャ方はパトロクロス、両アイアス、メリオネスが、トロイア方はヘクトル、アイネイアス、グラウコスがサルペドンの周りで戦っていました。
ゼウスは思案していました。ここでヘクトルにパトロクロスを討ち取らせるか、もっと手柄を立てさせてから討ち取らせるか。
後者の選択をしたゼウスは、ヘクトルに臆病風を吹かせると、彼は戦車に乗って逃げ出し、「逃げよ」と周りに呼びかけます。リュキエ勢も自軍の王サルペドンが討たれ、さらに戦死者が出ているのを見て退却し始めました。
ゼウスはアポロンに
「アポロンよ、サルペドンを連れ出して黒い血を河水で洗い流してくれ。アンブロシアを塗って不朽の衣も着させてやってくれ。その後〈死〉と〈眠り〉の神にリュキエに運ばせるよう。家族は墓を立てて葬るであろうから」
アポロンは、すぐに実行しました。
フュースリー〈サルペドンの遺体を運ぶ死と眠りの神〉
パトロクロス、アキレウスの言いつけを忘れる
パトロクロスは、トロイア勢とリュキエ勢を追って多数の敵を討ち取ります。ゼウスが、彼の戦意を煽ったからです。
彼は三度トロイアの城門に足をかけましたが、アポロンがそれを押し返します。アポロンがいなければ、トロイアは落ちていたかもしれません。それほどパトロクロスは奮戦していました。
だが、彼が四度目に城門に足をかけると、アポロンは凄まじい声を出しました。
「引きさがれ、パトロクロスよ、誇り高きトロイア人の城はそなたによって落される定めになっておらぬ。それはそなたより数段優れたアキレウスによってさえかなわぬのだ」
パトロクロスは、アポロンの怒りに引きさがることができませんでした。
ヘクトルは戦況を見つめていましたが、そこへアポロンが肉親のアシオスの姿になって近づいてきました。
「ヘクトルよ、どうして戦わないのだ。おぬしらしくもない。さあ、アキレウスに馬を向けよ。みごと彼を討ち取り、アポロンがお前の名をあげさせてくださるかもしれぬ」
こう言うとアポロンは去り、さらにギリシャ勢を混乱させます。ヘクトルはそんなギリシャ勢には目もくれず、ただひたすらアキレウスを目指して馬を進めます。
ヘクトルvsパトロクロス
パトロクロスは戦車を降り、石を拾うと投げつけました。石は御者ケブリオネスの額に当たり、彼はもんどりうって落ちました。ヘクトルは戦車から飛び降ります。
遺体を挟んで争う二人は、まさに二頭の獅子のようです。周りではギリシャ勢とトロイア軍も凄まじく戦っています。そんな中、パトロクロスは敵9人を倒しました。
この時、パトロクロスに気づかぬように近づいてきたのがアポロン。神は深い霧に包まれて、パトロクロスの背後に回ると、肩と背を叩きます。
すると、パトロクロスは眼がまわり始めました。神は兜を叩き落とし、槍はばらばらに砕け散り、楯は肩から落ちました。さらに、鎧を解き緩めると、パトロクロスの精神は朦朧とし、体の力も抜け、呆然と立ちすくむだけでした。
こうして、アキレウスではなく、パトロクロスであることが明らかになってしまったのです。
パトロクロスの死
勇士エウポルボスの投げた槍が、パトロクロスの背中に当たります。しかし、まだ死には至らず、エウポルボスは槍を引き抜くと自陣に逃げ込みました。武器も防具もないパトロクロスに立ち向かう勇気がなかったからです。
パトロクロスは自陣に向かおうとしましたが、ヘクトルが彼に近づき、槍で下腹を刺し貫きました。ギリシャ勢は、アキレウスではなくても、パトロクロスの死に悲嘆にくれました。
ヘクトルは言い放ちました。
「パトロクロスよ、おぬしは我らの城を落とし、トロイアの女たちを強奪するつもりであったであろう。しかし、槍をとっては並ぶ者がいないこのヘクトルが守っているのだ。おぬしは、ここで禿鷹の餌になる。哀れな男よ、アキレウスも何の役にも立たなかったな」
断末魔の中、パトロクロスは答えました。
「ヘクトルよ、今はいくらでも吠えるがいい。ゼウスとアポロンが勝利を授けてくださったのだ。神にとって、私を倒すことなど造作もないこと。私の武具を剥いだのも、神々であったのだ。
そうでなければ、おぬしが20人束になってかかってきても、私には勝てぬ。心しておけ。もう、おぬしの命も長くはない。すでにおぬしの横に死が立っている。アキレウスの手にかかって果てる運命だ」
「パトロクロスよ、何を頼りに私の死を予言するのだ。私か勝つか、アキレウスが勝つか、誰にそれがわかるというのか」