アイエツ〈落涙するオデュッセウス〉
翌朝、オデュッセウスはアルキノオス王に導かれて集会場に赴き、故郷へ帰るための準備が正式に決定します。選ばれた若者たちは船出の準備を整え、屋敷では祝宴が開かれました。
楽人がトロイア戦争の歌を奏でる中、オデュッセウスはこみ上げる想いに涙を隠します。それに気づいた王は気分転換に競技会を提案。
王子ラオダマスから参加を促されたオデュッセウスは、侮辱的な言葉に憤慨し、自らの実力を示します。円盤投げで驚異の力を見せ、弓や相撲の腕前を語ると、若者たちは言葉を失いました。
オデュッセウスの帰国が決まる
翌朝、アルキノオス王はオデュッセウスを連れて集会場へ向かいました。集会場の近くには、パイエケス人が誇る美しい船が整然と並んでいます。
「パイエケス国の評議に携わる皆よ。この客人は故郷へ帰ることを願っている。そこで、これまでの慣わしに従い、速やかに52人の漕ぎ手を選び、彼を帰国させたいと考えておる。これから我が屋敷で客人をもてなしたいゆえ、選ばれた若者たちも、評議に携わる方々も、どうかお越しいただきたい」
選ばれた52人の若者たちは、出航の準備を整えると、王の屋敷へと向かいました。
屋敷での食事の後、楽人がトロイア戦争の物語を歌います。オデュッセウスは顔を着物で覆い、誰にも気づかれぬよう涙を流しました。けれども、すぐそばにいたアルキノオス王だけは、その涙に気づきました。
気分を変えさせようと、王は提案します。
「さて、これから戸外に出て、さまざまな競技を試みようではないか。客人も、我らパイエケス人がいかに運動に長けているか、故国で語ってくださろう」
王の子ラオダマスの競技参加への提案
若者たちによって、徒競走、角力、跳躍、円盤投げ、拳闘といった競技が次々に行われました。
その様子を見ながら、アルキノオス王の子ラオダマスが仲間に提案しました。「客人に競技の心得があるか、聞いてみようではないか。漂流や年齢のせいでやつれてはいるが、見たところ、ただ者ではない体つきをしておられる」
仲間たちが同意すると、ラオダマスはオデュッセウスに声をかけました。「いかがです、おじさん。何か競技の心得があるようでしたら、ぜひご参加を。ご出発も近いことですし、その前に少し気晴らしをなさっては」
オデュッセウスは静かに答えます。「ラオダマスよ、なにゆえ私を見くびるようなことを言うのか。今の私の心は疲れ果てており、とても競技に気を向けられる状態ではない」
そのとき、仲間の一人エウリュアロスが冷ややかに口をはさみました。「やはりな。あなたはただの商人風情、暴利をむさぼる輩と見た。競技の場にふさわしい人物ではあるまい」
これにはさすがのオデュッセウスも怒りをあらわにします。
「なんと無礼な言葉。なんとも思い上がった男だ」
オデュッセウスの力にパイエケス人は沈黙
オデュッセウスは黙って円盤を取り上げ、力いっぱい遠くへと投げました。
「誰でもいい、私より遠くに投げられる者がいれば出てくるがよい。もしおれば、私はさらにそれを超えてみせよう。拳闘でも、相撲でも、競走でも、なんでも受けて立とう。ただし、ラオダマスは除く。彼は私をもてなしてくれた方だからな」
そう言って、オデュッセウスは弓の扱いや、これまでに身につけた多くの競技の心得について語ります。
その堂々たる態度に、パイエケスの若者たちは圧倒され、誰一人として言葉を発することができませんでした。
アルキノオス王は場の空気を和らげるため、朗らかに語りかけます。
「客人が罵られ、その技を示されたのももっともなこと。されど今は、私の言うことに耳を傾けてほしい」
そう言って王は舞台を設けさせました。若者たちが踊りを披露し、楽人デモドコスが竪琴を手に取って、物語を奏で始めます。
その物語とは、愛の女神アフロディテと軍神アレスの密かな逢瀬――神々の浮気話でありました。
→アフロディテ(ビーナス)の浮気。アポロン、アレスをうらやましがる!