1話5分で読めるギリシャ神話

ギリシャ神話の神・女神・英雄のエピソードが、絵画で分かりやすい。また、ギリシャ神話はあなたの美術鑑賞に役立ちます。〈アートバイブル〉も、絵画でわかりやすい聖書です。

魔女キルケ2 キツツキの話

ピクス王とキルケ
〈ピクス王とキルケ〉

『オデュッセイア』番外

オデュッセウスたちが、魔女キルケのアイアイエの島で暮らし、はや一年が経とうとしていました。キルケの館の聖堂に、頭にキツツキを乗せた若者の大理石像が、目にも鮮やかな花輪で飾られていました。
「この像の若者は誰なのか?」
オデュッセウスの部下マカレウスが、キルケの侍女にたずねました。

ピクスとカネンス

侍女は話はじめました。
「わたしの主人キルケ様が、どれほどの力を持っているか分かりましょう。この話の舞台は、ラティウムです。ここはラテン人の故郷であり、イタリア中央西部地方にあります。(注:いずれローマが建設されます)

サトゥルニウスの子ピクス王は、ラティウムのまだ16才にも届かぬ若者でした。心ばえもすぐれ、その美貌からラティウムの森の精や泉や水のニンフも彼を慕っていました。そんな中で、彼はヤヌス神の娘であるひとりのニンフだけを愛しました。このニンフも他の婚約者をすべて退けて、ピクス王にとつぎました。まれに見る美女でしたが、歌の巧みさから歌姫(カネンス)と呼ばれるようになりました。彼女の歌声はまるでオルフェウスのように、森や岩を動かし、獣もおとなしくさせ、川の流れさえも止めるほどでした。

ある日、ピクス王はラティウムに近いラウレントゥムの森に狩りに出かけました。馬にまたがり、緋色のマントは黄金のブローチで留められています。たまたま、キルケ様もこの森においでになっていたのです。この森には、彼女が魔法に使う薬草をつむための「キルケの野」があります。キルケ様は一目ピクス王を見ると、熱い炎が全身をかけめぐり、つんだ薬草はすべて手からおとしてしまいました。

ピクス王は従者と一緒に馬に乗っているので、キルケ様から遠ざかっていきました。
しかし、キルケ様はつぶやきました。
「わたしの薬草と魔力からは、あなたはもう逃れるすべはない!」
すぐさまイノシシの幻を作られると、ピクス王の前を横ぎらせ、馬では入れない森の奥に逃げ込ませました。
ピクス王と従者は馬を下りて、イノシシを追いかけていきます。

キルケ
ジョバンニ・ベネディクト・カスティリオーネ〈キルケ〉

キルケの情熱

キルケ様は呪文を唱えると、あたりにはもやが立ちこめ、雲が月を隠し、真っ暗になりました。従者はピクス王を見失い、うろうろしています。キルケ様はピクス王の前に現れると告白しました。キルケ様は、すぐ恋に落ちてしまう情熱の女なのです。
「わたしの眼をとりこにした、この上もなく美しい若者よ、その美しさは女神であるわたしをもひざまずかせたのです。太陽神ヘーリオスの娘であるわたしのこの思いに情をかけてください」

ピクス王は、きっぱり断りしました。
「ヤヌス神の娘『歌姫』カネンスが、わたしをとりこにしている。だから、あなたのものにはなれない。夫婦の誓いを破るつもりもない」
キルケ様は何度も何度も願いましたが、無駄でした。
「ただではすみませんよ。『歌姫』のところに戻ることもかないますまい。恋する女が恥ずかしめを受けた場合、どんなことになるか思い知るでしょう。ましては、恋する女はこのキルケなのですから」

ピクス王、キツツキに

それから、キルケ様は西へ二度、東へ二度、向きを変えると、杖でピクス王に三度触り、呪文を唱えました。ピクス王は、逃げ出しました。そして、すぐ驚きました。
「なぜ、いつもより早く走っているのか!」
見ると、体に翼が生えているのです。鳥になった自分に気づかれ、腹を立て、今や木々をくちばしでつついているのです。マントの緋の色が翼の色に、マントを留めていた黄金のブローチは羽毛となり、その金色の輪が首を取巻いているのです。「キツツキ(ピクス)」に変身していたのです。

従者はピクス王を探しまわりましたが、見つかりません。キルケ様に出くわすと、事の次第に気付きました。すぐさま、王様を返すよう要求しました。キルケ様は有害な汁と毒液とをあたりにふりかけ、〈夜〉〈暗黒〉〈混沌〉を呼び出しました。すると、森は跳ね上がり、大地はうめき、木々は青ざめ、草にかかった水滴は血となりました。石はしわがれた声をだし、何匹もの黒い蛇がうごめき、霊が飛び交いました。

従者たちは、この現象にがたがた震えるだけでした。彼らをキルケ様が魔法の杖で触ると、みんな獣に変ってしまったのでした。

啄木鳥(キツツキ)
〈キツツキ〉出典

歌姫カネンスの運命

家で待っていたカネンスや召使い、あらたな王の手下たちが、ピクス王をラティウム中探しまわりました。が、見つかるはずがありません。六日六晩、カネンスは眠りもせず、食事もとらず探しまわりました。とうとう、彼女は疲れ果てて、ティベリウス河の岸辺に身を横たえてしまいました。それでも、最後の力をふりしぼり、悲しい歌をうたいます。そして、身も心も空気の中に消え去りました。そして、その場所は歌姫の名にちなんで、「カネンス」と呼ばれるようになり、今でもその名をとどめています。

今やそのキルケとお頭オデュッセウスがねんごろになっています。部下マカレウスは行く先を考えると、心底ぞっとしてしまいました。