アングル〈アガメムノンの使節〉
アガメムノンの失意とディオメデスの反論
ギリシャ軍は、身も心も凍らす「ポボス(敗走)」の半侶「ピュザ(恐怖)」に襲われ、みな悲嘆に打ちひしがれていました。
落胆したアガメムノンは、告げざるを得ません。
「我らは故国アルゴスへ引き上げよう。ゼウスは、トロイアから凱旋するという約束を反故にして、多数の武将を失わせ、故国に帰れといっているようだ」
みな、しばし沈黙......
ディオメデスはアガメムノンに反論します。
「アトレウスの御子アガメムノンよ、私はあなたの思慮を欠いた意見に反論する。ギリシャ軍はそんなにも脆弱か。みな、トロイアを完全に打ちのめすまでは踏みとどまるであろう。少なくとも、私とステネロスは最後まで戦う」
すると、老ネストルもディオメデスに合わせます。
「アガメムノン王よ、今夜は食事をとり、最もよい策を練ろうではないか」
アガメムノンは陣屋に名だたる長老を集め、夕食会を開きました。
老ネストルが口を開きます。
「アガメムノン王よ、わしは最善の策を申し述べたい。あなたはアキレウスが怒るのもかまわず、プリセイスを奪われた。われらにとって、不本意であった。今からでも遅くはあるまい。彼の喜ぶ贈り物を与え、なだめたらどうだろう」
アガメムノンの苦渋の決断
「ご老体、その通りだ。わしは思慮を失って、過ちを犯した」
アガメムノンはそう言うと、アキレウスへの数々の贈り物を列挙し、さらなる贈り物も用意しました。
「レスボス生まれの美女7人と、はっきり言うがまだ手をつけていないプリセイスも返す。
また、トロイアを攻略した暁には、トロイアの美女20人、アルゴスに帰った時には息子オレステス同様に扱い、娘3人のうち好きな子も与えよう。さらに栄えある7つの町も付け加えよう。アキレウスもここで折れて、わしに従わなければならない」
アガメムノンは、最後に自分が王であることを強調しました。
老ネストルはアキレウスへの使者としてアイアスとオデュッセウス、先導はアキレウスの傅役(もりやく)老ポイニクス、伝令オディオスとエウリュバテスの名をあげました。王の許可を得てから、彼らはすぐにアキレウスの陣屋へ出発しました。
使者、アキレウスの陣屋へ
アキレウスはパトロクロスを脇に竪琴を奏でていました。
「ようこそ、お出でなされた」と、使者たちを食卓に案内します。
まず、オデュッセウスが話し始めます。
「アキレウスよ、今はこうして美味い食事を取っている場合ではない。ゼウスはトロイアに加担して雷火を閃かせ、ヘクトルの軍勢は船陣の前で野営し、我々はトロイアの地で果てるのが運命なのか心配だ。
友よ、今こそ立ち上がってくれ。お主の父ペレウスが出発の日にこう申されたではないか。
『わが子よ、高ぶる気持ちは抑えねばならない。温和な気持ちを保つことが大切なのだ。みなから尊敬されるように心がけねばならない』
怒りを忘れてくれ。そうすれば、アガメムノンはそれ相応の贈り物を用意すると約束した。プリセイスも返すと言っている。まだ、手はつけていないそうだ」
オデュッセウスは、アガメムノンの贈り物を一つ一つ列挙しました。
「それでも、アガメムノンが憎いというなら、疲れ切っている我々を憐れんでくれ。ヘクトルは狂気に囚われているかのように、我々の兵をなぎ倒していく。自分に敵する勇者は、ギリシャ軍には一人もいないと自惚れているのだ」