ドローリング〈アキレウスの怒り〉イリアス第一歌
ギリシャ軍の危機を救うため、オデュッセウスやアイアスらの使者団がアキレウスの陣屋を訪れました。
アガメムノンは多くの贈り物を約束して和解を望みますが、アキレウスは激しい怒りを捨てません。彼は戦争そのものの意味を疑い、愛するブリセイスを奪われた屈辱は贈り物では償えないと語ります。
養父のような存在である老ポイニクスも涙ながらに説得しますが、アキレウスの決意は揺らぎません。アイアスの直言もむなしく、使者団は説得に失敗して帰還します。
報告を聞いたギリシャ軍は沈黙に包まれますが、勇将ディオメデスは動揺を戒め、アキレウスに頼らず戦い続ける決意を示しました。
怒れる英雄アキレウス、和解を拒絶
使者団の言葉を聞いた大英雄アキレウスは、怒りを隠そうともしませんでした。
「オデュッセウスよ、アガメムノンの二枚舌に私は動かされない。命を懸けて戦おうが、戦うまいが、同じ報酬しか与えられぬ。それならば戦う意味などない。
もはやうんざりだ。アガメムノンの贈り物が十倍、いや二十倍になろうとも受け取る気はない。ましてや王の娘など望みもしない」
さらに彼は戦争そのものへの疑問を口にします。
「そもそもこの戦いは何のためだ。メネラオスの妻ヘレネのためではないか。誰にでも大切な妻はいる。それなのに、なぜ私は他人の妻のために命を賭けて戦わねばならぬ」
そしてアキレウスは、自らの怒りの核心を語りました。
「私はブリセイスを妻のように愛していた。その彼女を奪ったのだ。
贈り物で私の心を試そうとしても無駄だ。ヘクトルが船を焼き払わぬよう、オデュッセウスよ、アガメムノンに考えさせるがよい。私は明日の朝ここを発ち、故郷プティエへ帰る」
そして養育係の老ポイニクスに向かって言いました。「ポイニクスよ、もし望むなら今夜ここに泊まり、共に帰国するがよい」
老ポイニクスの涙の説得
この強い拒絶に使者たちは言葉を失いました。
しばらくして、アキレウスの傅役であり養父のような存在である老ポイニクスが静かに語り始めます。
「若殿、もしあなたが帰るなら、わしもここに残る理由はありません。父上ペレウスは、あなたを導くよう私に頼まれました」
彼は若き日の思い出を語りました。
「故郷を追われてプティエへ来た時、ペレウス殿は私をわが子のように迎えてくださいました。あなたも幼い頃から私と共に食事をし、どこへ行くにも私と離れようとしなかった。私にとってあなたは、まさに自分の子なのです」
ポイニクスは懇願します。
「アキレウスよ、どうか激しい怒りを抑えてください。神々でさえ時には怒りを和らげるものです。アガメムノンもすでに怒りを静め、ブリセイスを返し、莫大な贈り物を約束しました。ここに来た友人たちの労を無にしてはなりません」
しかしアキレウスの決意は変わりませんでした。
「ポイニクスよ、アガメムノンのために私の心を揺さぶるのはやめてほしい。私はあなたを大切に思っている。むしろ私の王権の半分を与えよう。共に国を治めるがよい。今夜はここで休み、明日帰国するかどうか決めるがよい」
アイアスの直言、それでも動かぬ怒り
ついに沈黙を破ったのは、剛勇で知られるアイアスでした。
「オデュッセウスよ、もう帰ろう。アキレウスは心を固く閉ざしてしまった。アキレウスよ、我々はギリシャ軍の代表としてここへ来た。しかも最も誠実で親しい友としてだ」
それでもアキレウスは譲りません。
「アイアスよ、あの屈辱を思い出すたび怒りが込み上げる。アガメムノンは皆の前で、まるで卑しい流れ者のように私を扱った。さあ帰って、今の言葉をそのまま伝えてくれ」
使者団の帰還、そしてディオメデスの決意
こうして説得は失敗に終わりました。オデュッセウスとアイアスは陣営へ戻り、アガメムノンに結果を報告します。話を聞いた将軍たちは呆然と沈黙しました。
その沈黙を破ったのは、勇将ディオメデスでした。
「アキレウスには好きなようにさせておけばよい。いずれ神が彼を戦場へ導く時が来るだろう。それより今は食事を取り、明日の戦いに備えるのだ。アガメムノン王よ、あなた自ら先陣に立ち、軍を導いていただきたい」
こうしてギリシャの武将たちは、それぞれの陣屋へ戻り、翌日の戦いに備えるのでした。
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