ダフニスの戸惑い
ダフニスはクロエーが泣いたり、痛がったりしてはと思い、すぐに実行するのはやめました。また、血を見るのは怖く、血は傷から出るものと思っていたのです。
それからは、ダフニスとクロエーは前よりも多く接吻するようになりましたが、裸で寝るのは少なくなっていったのです。
ところで、ダフニスは船乗りの掛け声や舟歌から響きあう木魂(エーコー)のことを知っていました。この木魂の話をしてあげるかわりに、10回接吻させてくれとクロエーに言って話はじめました。
」参考:カバネル〈エーコー〉
バラバラにされた木魂(エーコー)
「エーコーは人間だったけど、ニンフたちに育てられ、ムーサたちから葦笛、竪笛、竪琴、歌を教えてもらったんだ。また、彼女は年頃になっても、男たちには興味がなかったの。
ある日、牧神パーンが彼女に言いよってきても、エーコーに断られしゃくにさわったんだ。だからパーンは腹いせで、牛飼いや山羊飼いを狂わしたんだ。狂った彼らは、エーコーの体を引きちぎりバラバラにしてしまった。
哀れに思った大地女神は、バラバラになったエーコーの体を隠したんだ。それでも、エーコーは音楽だけは忘れず、ムーサのおかげで声もだせ、なんでもまねができた。神様の声も、人の声も、獣の声も、楽器の音もね。パーンの笛の音さえもまねできたんだ」
クロエーはこんな話をしてくれたダフニスに、10回以上も接吻してあげたのです。
クロエーの結婚話
夏になると、クロエーをお嫁さんにのぞむ者が大勢現れました。彼らは土産物を持ってきたばかりではなく、莫大な額の品物を約束しました。
ドリュアースの妻ナペーは、たくさんの土産物に喜びました。しかし、ドリュアースはクロエーの両親が見つかったら、自分たちの身分を上げてくれるかもしれないと、迷っていました。
ダフニスはクロエーの結婚話にはショックでしたが、自分も求婚者になろうと思いました。しかし、問題が一つありました。養父ラモーンが、お金持ちではないことです。それでも、求婚者になる決心をし、クロエーも賛成しました。
ダフニスは養母ミュルタレーにだけ、クロエーへの求婚の話をしました。しかし、彼女は夫ラモーンに話してしまい、夫は不機嫌になりました。いずれダフニスの両親が、自分たちを自由にし、地位も上げてくれると思っていたからです。
ラモーンとドリュアースは、お互いにダフニスとクロエーが元は裕福な家の子だとは知らなかったのです。
〈海豚の死骸と3000ドラクメー〉
3千ドラクメー入った財布
ラモーンの妻ミュルタレーはダフニスの思い詰めた恋を心配し、遠回りの理由をつけてクロエーを諦めるよう話しました。
「ねえダフニス、うちは貧乏なので、持参金を多く持ってくるお嫁さんが欲しいんだよ。ドリュアース家にはお金があるから、それにふさわしいお婿さんがのぞみなんだ。そこで、クロエーに頼んでごらん。たくさんの結納をもらわずにお前のお嫁さんになれるよう両親に頼んでもらうんだよ」
この言葉に、ダフニスは悲しみ、ニンフたちに救いを求めました。ニンフたちは夢枕にたち、こう話しました。
「ダフニスよ、ドリュアースの心を動かせる贈り物をお前にあげよう。それは、メーチュムナの若者たちの船です。その船は、岬の岩場に流れつきました。
船の中にあった3千ドラクメーの入った財布が波の力で流れでて、イルカの死骸のそばで海草におおわれて眠っています。イルカの死骸は臭いので、誰も近寄らないのです」
(1ドラクメー=1人1日の生活費。3千ドラクメーは8年分以上の生活費になります)
「クロエーを僕のお嫁さんにください」
次の日、ダフニスは結納には十分すぎるお金、3千ドラクメーを手に入れたのです。喜んでクロエーに伝えてから、ドリュアースのもとへ走って行きました。
「クロエーを僕のお嫁にください。僕のことはわかっていると思います。ここにある3千ドラクメーをさしあげます。このことは、お父さん以外には言わないでください」
ドリュアースとナペー夫妻は、思わぬ大金にクロエーをやろうと言い、ラモーンにも伝えると約束しました。彼はラモーンの家に行くと「ダフニスを婿にほしい、結納品は一切いらない」と話しました。ラモーンには、断る理由がありません。
ただ、ラモーンは雇われている旦那様の許可がいることと、その丹那様が秋にはここにいらっしゃることを話しました。また、ダフニスの秘密も話したのです。「じつは、ダフニスは私らの子ではなく、よい家柄の出なんです」
ドリュアースはラモーンの言葉を考えながら、家路につきました。ダフニスはクロエーと同じように、家柄の良い捨て子だったのだろうか? 証拠の品々もあるに違いない。ダフニスの実の両親がわかれば、クロエーの出生の秘密もわかるかもしれない、と。
ドリュアースは家に着くとダフニスに秋には披露宴を開くと約束し、クロエーは誰にもやらぬと誓言しました。
季節がら、木の実はすべて落ちてしまっていましたが、一本の高いリンゴの木がありました。一番上に熟れた実が一つ。ダフニスは木に登ってその実を取ってくると、クロエーに渡しました。
「リンゴの実は、アフロディテ様が美しさの褒美に羊飼いのパリスからもらったもの。クロエー、この実は山羊飼いのぼくが、優勝のしるしとして君にあげよう」