〈アキレウスの馬と戦車〉
トロイア軍の将ヘクトルは、ギリシャ軍の動きを探るため偵察を募りました。名乗り出たのは俊足のドロンで、褒美としてアキレウスの馬と戦車を望みます。
夜の闇に紛れて偵察に向かったドロンでしたが、潜入中のオデュッセウスとディオメデスに捕らえられてしまいました。
命乞いをしたドロンはトロイア軍の配置や援軍の情報をすべて語りますが、最後にはディオメデスに討たれます。
二人の英雄はその情報をもとにトラキア王レソスの陣営を夜襲し、王と兵士を討ち取り白馬を奪って帰還しました。
しかしこの襲撃を見ていた神アポロンは怒り、トロイア側の兵士を目覚めさせるのでした。
欲望に目がくらんだ偵察者ドロン
トロイア軍の陣営でも、総大将ヘクトルの命令によって将兵が集められていました。
ヘクトルは言いました。
「ギリシャ軍が今後どんな行動に出るか知りたい。誰か、ギリシャの船陣の中へ忍び込み、彼らがこのままトロイアの地を去るのか、それとも何らかの策を練っているのか確かめてきてほしい。それ相応の褒美を約束する」
すると一人の男が名乗りを上げました。
その名はドロン(ドロス)。俊足で知られる男でした。
「では、勝った暁にはアキレウスの馬と戦車を私にくださると誓約してください」
この望みはあまりにも大胆でした。アキレウスの神馬は戦場でも比類なき名馬だったからです。
しかしヘクトルは言いました。
「その戦車はあなた以外のトロイア人は乗らぬと、ゼウスとヘラにかけて誓おう」
欲望に胸を躍らせたドロンは、ただちに出発しました。
彼は灰色の狼の皮をまとい、頭にはイタチの皮の帽子をかぶり、弓と槍を携えて夜の闇の中を駆けていきました。
闇の追跡、ドロン捕縛
そのころギリシャ軍の陣営では、敵陣へ潜入していたオデュッセウスとディオメデスが進んでいました。
するとオデュッセウスが小声で言いました。
「ディオメデスよ、敵陣から誰かやってくる。わが船陣を探りに来たのかもしれぬ。少し進ませてから捕らえよう」
二人は身を伏せて待ち構えました。
やがてドロンが船陣へ近づいたとき、二人は背後から走り出しました。
「止まれ、さもなくば槍で撃つ!」
ディオメデスは槍を投げました。槍はドロンの肩をかすめて地面に突き刺さります。
驚いたドロンは逃げようとしましたが、たちまち追いつかれて捕らえられました。
「どうか殺さずに生け捕りにしてください。父は裕福な男です。莫大な身代金を払うでしょう」
ドロンは震えながら命乞いをしました。
オデュッセウスの尋問、トロイア軍の秘密
オデュッセウスは冷静に尋ねました。
「なぜこの夜にここへ来た。誰の命令だ」
ドロンは答えました。
「アキレウスの馬と戦車を褒美に約束され、ヘクトルの命令でギリシャ軍の様子を探りに来ました」
それを聞いたオデュッセウスは、あきれたように言いました。
「あの馬と戦車は、女神テティスを母に持つアキレウスにしか扱えぬ名馬だ。人の子が乗りこなせるものではない」
その後、二人はさらに詳しい情報を聞き出しました。
ドロンはトロイア軍の配置を語り、夜の見張りが置かれていること、そして外国から来た援軍の多くは休んでいることを明かしました。
さらに、トロイア軍の陣営の外れに新しく到着した援軍についても話しました。
それはトラキア王レソス(リュソス)の軍勢でした。
「彼らの馬は雪のように白く、風のように速い。戦車には金銀が飾られ、王の武装はまるで神のように輝いています」
ドロンはすべてを語り終えると、震える声で尋ねました。
「あなた方がトロイア軍に潜入している間、わしの身はどうなるのでしょうか」
しかしその瞬間、ディオメデスの剣が閃きました。
ドロンの首ははねられ、その武具は女神アテナへの戦利品として捧げられました。
夜襲、トラキア王レソスの最期
オデュッセウスとディオメデスは、ドロンの語ったとおりトラキア王レソスの駐屯地へ向かいました。
兵士たちは深い眠りに落ちていました。ディオメデスは剣を抜き、静かに襲いかかりました。
彼は眠るトラキア兵を次々となぎ倒し、十二人を討ち取りました。
そして十三人目の犠牲者となったのが、王レソスでした。
その間、オデュッセウスは戦車から白馬を外し、静かに外へ引き出していました。
その名馬は、夜の闇の中でも雪のように白く輝いていました。
さらに攻撃を続けようとしたとき、女神アテナが現れて言いました。
「ディオメデスよ、今は帰ることを考えよ。敵に追われて逃げ帰ることになってはならぬ。他の神々がトロイア軍を奮い立たせるかもしれない」
ディオメデスはうなずき、オデュッセウスとともに馬を連れて船陣へ戻りました。
神々の怒り、アポロンの介入
しかしこの夜の襲撃を見ていた神がいました。
それはトロイアを守る神、アポロンです。
アポロンはアテナがギリシャ軍に力を貸したことに怒り、トラキア軍の一人を目覚めさせました。それは王レソスの従弟、ヒッポコオンでした。
彼が目を覚ましたとき、すでに仲間たちは倒れ、王も命を落としていました。
しかしオデュッセウスとディオメデスはすでに遠く離れ、ギリシャの船陣へ無事に帰り着いていたのです。
こうしてこの夜の潜入作戦は、ギリシャ軍の大きな戦果となりました。
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